HCC コミュニティ ひろば

スキー&スノーボード2004-2005

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男も女も心の仕組みは同じ

生理学上、機能形態にはそれぞれの役割があり、差異はあって当然ですが、
心の仕組みから見ると、男も女も大差はありません。

心も身体も自己防衛の為に働く基本的な理屈が一つであるように、
男も女も人間同士、そもそもの感情反応は同じです。

誰だって、厭なことされたら辛いし、悲しいし、悔しい。
無視されたら寂しいし、惨めだし、苦しくなる。
一人になりたい時はあるけど、
独りぽっちにされたら、疎外感を感じ、孤立感を感じ、辛くなる。

自分の感情をもっと素直に出しましょう。
男だって寂しい時には寂しいし、悲しい時には泣きたいのです。
女だって怒りが湧けば喚きたい時もあるのです。

感情は、人間共通のものです。
性別によるものではありません。
感情表現が歪められているのは、間違った価値観を刷り込まれているからです。
女は。。。じゃなきゃいけない…とか、
男は。。。であるべきだ…とか、、、。

高齢化社会はますます進み、
長い時間生きることが許される時代になりました。
と、いうより、死ねない時代に入って来ました。

時間が、ずっとずっと有るのです。
共に生きて行くこの時間を、同じ人間同士として、
分かり合おうとする大らかさを身につけたいものです。

セクハラ!に極端に目くじら立てていると、
好意を持った純粋な感情までもが歪められたり、
圧し殺されてしまいます。

もう少し余裕を持って、
もう少しだけ緩やかに、
やさしく…ゆったり…できないものですかねェ~~。


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by h-c-c | 2018-01-30 22:11 | Comments(0)

本当にやりたいことがあるのなら…

成人式だった。
二十歳をもうとっくの昔に通り過ぎた人も、
まだその入口に立ったばかりの人も。。。
「今」を生きていることだけは、ともに等しい。

若いということは、未来に向けて時間がある???ということ。
しかし、
若さの陰には未熟さも含まれるため、そこには同時に不安もある。
経験も少ない。
お金もない。
知人も少ない。

それでも、やりたいことがあるのなら…。
やってみた方が絶対に良いに決まっている。

そしてそれは、いつの時代の何歳の人でも同じではないだろうか。
仮に、家族の為の責任を背負って、
一時期やりたいことを後回しにして、生きて来たとしても、
一通りの役目を終えて迎えた「今」から「これから」に向けて、
まだ、やりたいことがあるのなら…、
本当にやりたいことがあるのなら…、
自分の命を、自分に与えられた時間を、やりたいことの為に使いきる。

老いるということは、時間も体力も減ってくる。
しかし、
経験は豊にあり、若い時に比べれば、お金も人脈も増している。
たとえ、明日世界が終るとしても、、、
いいえ、
いつ世界が終るかも知れないこんな時代だからこそ、、、
自分の命を、この身を使って、自分の出来ることを社会に還元させて、
「生きる」。
その時、自分の命は、積極的に社会に繋がって行く。

本当にやりたいことがあるだけでも幸せなこと。
本当にやりたいことは、やってこそ、ナンボのもん!!

やりたいことがあるのなら、今年こそは思い切って
是非、「行動」に移しましょう 。。。。。



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by h-c-c | 2018-01-08 22:33 | Comments(0)

教育 = 共育

昨今30歳前後、法的には明らかに一人の独立した成人の
違法行為、迷惑行為、犯罪までには到らない怪しげな奇行等について、
たびたび取り上げられる親の育て方について、、、
また、
組織内での後継者が育っていないの声に隠れる部下の育成不足について、、、
・・・・・
あなたは、如何お考えですか?

私は、常々、教育は決して一方通行のものではなく、その場で同時に起こる
「共育」であろうと考えている者です。

育てる力だけでは、育ちきらないし、
そもそもその人が持ち得ている育つ力が、その人を育てるのだろうと、、、。
無論、環境は大事です。
それでも、環境だけが育てる力にはなりませんし、
どんな逆境からでも、育つ力を発揮するものは育っていきます。

子育てにしても、部下・後継者の育成にしても、
本人の「育つ力」に由るところの方が大きいのではないでしょうか。

昔の職人は、師匠から盗んで覚えよ!と、言われたものです。
勘所を研ぎ澄ませ自身を育てるために身につける学び方です。
噛んで含めて、手取り足取り、懇切丁寧に教えたところで、
本人に学ぶ力(気)が無ければ、それは習得できませんし、
逆にその人に学び取り込む力があれば、貪欲なまでに習得するでしょう。

二十歳を超えた成人の犯罪に対して、親の育て方を云々されるような、
そもそものそうした考え方は、
少子化問題が国の将来を愁う時代にあって、
結婚しない人が多いだけでなく、
出産を踏みとどまらせ、
子育てを躊躇させ、
子供を持たない選択肢の一つに繋がるような社会は、
そうした社会構造自体が未成熟だと考えています。

親になったことのない人、子供を持たない人が増える現代社会に於いて、
偏った見方はますますこの国から子供を失うことになりそうな気がします。

育てる方だけに責任がある訳ではありません。
逆にいえば、
素晴らしい人物が育った背景に、
必ずしも優秀な子育てをした親がいるわけではないと言うことです。
幾らかの影響はあるにせよ、
そこはやはり、何といっても本人自身の育とうとする力、
生き抜いて行こうとする意欲と力が大きく働いたに違いありません。

親だからと言って、上司だからと言って、
過剰な自信も猛省も不要だとの考えに
私としては今のところ到っています。

ーーー昨今よく見聞きする芸能人2世の問題行動を含めて…の私見ですーーー



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by h-c-c | 2017-11-14 11:07 | Comments(0)

コンセンサスリアリティの罠

ある一つの物事は、多様な側面を持っている。
視点が変わり、立場が変り、時代が、文化が違ってくれば、
その一つの「こと」も見え方が変わる。

集団の中で生きていくうちに、私たちは無意識のうちに暗黙の了解に従っている。

問いかければ多くの人は答える・・・、
「私にはよく分からないですけど・・・、」
「難しい問題ですよね・・・、」などと。。。

無意識に働き続けている自分自身の集団への忠誠心が、
実態から眼をそらさせ、違和感を感じているにもかかわらず、
不確かながらも慣れ親しんだ安穏とした状況下で、自己防衛を続ける。

罠にはまってはならないし、罠にはまり続けることに甘んじてはならない。
コンセンサスリアリティとは、ある種の特異な価値観であり、視野を狭めるものである。

コンセンサスリアリティの存在意義は、
社会生活と言うある一定の枠組みの中で、秩序を保ち、
互いが安心して生活を営む上では、
守られることの望まれる場面が多いことも確かではあるとしても。。。

それでも、
この無意識のコンセンサスに縛られている限り、「真実」からは遠のき、
人間の本来は何たるかに近づくことに、自らが距離を置くことと成りはしないだろうか。


自我を高め、自身の内の声と語り、目覚めない限り、「TAO」に触れることは出来ない。

自分の命を生きるということは、自分に繋がるあらゆる命を慈しみながら
真なる自身の声を信頼して生きることではないかと考えている。
そこには、勇気が求められる。




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by h-c-c | 2017-11-08 15:13 | Comments(0)

矛盾に由って立つ

ここ連日カウンセリングが途絶えない。
悩んでいるのは誰か?
苦しめているものは何か?
苦しみから逃れたいはずなのに、悩みは付きまとう。
それは、そのはず。
悩みませるものは、自分の内にある無意識にがんじがらめにした価値観。
…ねばならない。 …のはずなのに。 …べきだ!。

過剰な自立意欲は、自己否定感を強め、自らを孤立させる。
優柔不断としなやかさは、似て否なるものである。
肩書は実相ではなく、錯覚を招き、自らを盲目に貶める。
プライドは劣等感の鎧であり、しなやかさを失わせ、無用な硬さを生む。

外側ではなく、内側に、満たして行こう。
嫌な部分も、足りない部分も、そのままそっと内側に抱きかかえよう。

私たちは、他人と競い合うために生れて来たのではない。
誰かに認められることを目標に生きているわけではない。

静かに優しく自分の内側に抱えるものを愛してあげよう。
昨日とは違う今日の自分。
10年前とは違う今の自分。
その自分は、明日はまた、違っているはず。
変わることのない永遠の命の根源を抱えながら、私たちは日々何かが変っている。

資格や肩書がその人を幸せにしてくれるわけではない。
外側にアクセサリーのように飾りつけたとしても、それは、いつか脱ぐ時が来る。
見栄や虚栄の為に、威嚇にも似た権力を、たとえひと時身にまとったとしても、
やがていつの日かそれらを置き去らなければならない日も来る。
全てを脱ぎ捨てて、なお残るものこそが、
紛れもなく自分自身の内なる力であるとするならば、
内にこそ豊潤な豊かさを。。。

それは、自分自身だけでなくその周囲の人をも優しく包み込むから。。。





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by h-c-c | 2017-10-20 18:31 | Comments(0)

自分の命を生き抜く

6月21日に手術して以来、全身麻酔の影響かどうかは分からないままに
認知症が更に悪化した母との付き合いは、あれからずっと続いている。
そして、今現在、母は在宅として我が家に戻って暮らしている。
全てに手がかかる。
食べることも、排泄も、入浴も、ベッドの寝返りも、
もちろん起き上がることなんてできないし、
家の中で車椅子生活をしている状態だ。

ただ、家に居ると、家族のことは分かるし、若干の記憶が甦るらしく
少しだけ懐かしい話が出来る。
好きだった歌も一緒に歌える。
そんな母の姿を見ると涙が出てくる。「嬉しい!」

猛暑、長時間豪雨、突風、恥を忘れた見苦しい大人たちの行為。
国家とは何ために存在しているのか?を、
北朝鮮、アメリカ、日本、韓国、中国、ロシア・・・
それら国家間に交錯する一部の指導者たちの思惑から考える。
今ここに確かに生きている一人ひとりの人間の
その、まさに一人として…考えてみる。

カウンセリングへの来談者は増す一方だが、
10年前の頃のクライアントとは明らかに質が変わってきている。
カウンセリングへの取り組みが真摯で、本気なのだ。
その分、気づき・変容は顕著に現れる。

「人間」は、誰もが一人ひとり自分の「命」を、
自分として生き切ろうとしているのだ。
それだけのことなのだが、そのことの為に、悩み、苦しみ、葛藤する。
時代が如何に変ろうと、国家が他国と争おうと、そこに暮らし生きている
一人ひとりには、それ以上に身近な自分自身の問題がある。

生きましょう。とにかく、生きましょう !!
恐らく世の中はと言うか人間社会は、小池さんの掲げる「希望の党」のように
輝かしい社会に向かっているなんて楽観的な考え方は、
とてもではないが持てない。。。けれど・・・。

それでも、諦めないで、生きましょう!!
とにかく生き抜きましょう!

「もういいよ、よく頑張ったね。」と、自分の命が尽きるその時まで、
「生」の終わりに必ず訪れる「死」のその時まで、
せめて自分の命にだけは責任を持って、
命を生き抜きましょう!!

脱原発!! 今の日本に於いて、命の為にはこれ以外は無いと考えている。

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by h-c-c | 2017-09-25 18:11 | Comments(0)

無限の住人

暦の上の大型連休が、やっと過ぎ去った。
私には、連休も何もなく、ずっと働いていた。
連休中に、講座、ワークショップ、カウンセリング、出張の評価鑑定。
連日何らかの仕事に絡み、家族のために食事を作り、
飛んでくる黄砂の合間をぬって洗濯物を干したり、母を見舞ったりした。

そんな中でも、映画を見に行った。
木村拓哉君主演の『無限の住人』だ。
んんんん…、正直言って、感想は・・・。

私がここ近年観た映画の中では、122.png 122.png 122.png 大変 ガッカリ!なものでした。
それは、木村君の問題でもなく、他の出演者の人たちのせいでもなく、
ただただ、監督とその編集の問題だと感じたのだが。。。。。

とにかく無用に、やたらと長い。長すぎる。
2時間半もの間、斬って斬って斬りまくる ぶった斬りシーンの連続。
それも、相当やばく エグイ 残虐的映像。

編集で、思い切ってカットしてまとめれば良かったかも知れない。
三池監督が、木村君を好き過ぎて、木村君の熱のこもった太刀のシーンの
何処の場面もカットし辛かったのかも知れないが、
それならそれで、もう少し内容を膨らませるというか、
もうひとヒネリ深めて欲しかったと思う。
エンドロールに流れる音楽がとても良かった。

それでも、お時間と懐に少しの余裕がお有りであれば、
是非、会場に足をお運びいただければ…、と思います。
(息子たちに言わせると、「かあさんの、木村への目線は家族か親戚のおばさん的だね。)
・・・とのことですが。。。

そして、
ある時、あることから、不老不死の身体となる万次、、、、、
死ねないことの辛さ、
生き続けなければならない過酷さ、
その命、誰のために使うーーーと、問うのだが、
。。。。。。。
主人公万次の言葉を借りて言えば、
「死ねるおめぇらは、幸せもンよ。」
。。。
「不死身って、死ぬほどめんどくせぇ!」

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by h-c-c | 2017-05-08 11:12 | Comments(0)

今、ここに居て現実を直視する

「今、ここ」に居ない。
「現実を直視」していない。
何を見、何を聴き、何を感じているのか。
何を考えているのか。
・・・?・・・
・・・わからない・・・。

「現実を直視していない」と云われる場合、多くは、自分が見たくないものを避けている。
人は、誰もが自己流の見方をしている。
当然ながら、聞き方においても同様で、
今、ここで起きていることを、そのまま直視、直聴はできない。

現実と向き合う、ということは、そもそもが至難の技かもしれない。

フッサールの提示した「現実」の知覚。
デカルトの云う「感覚」に疑を問いかけたその「現実」とは・・・。

心理学をベースに展開するカウンセリングの根底には、
素地となるべき哲学が生き続けている。


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by h-c-c | 2017-02-10 23:34 | Comments(0)

この世界の片隅に…

静かな、それでいて ひたひたと心に迫る映画でした。
そして、そこに描かれていたのは、紛れもなくこの国にあった事実です。
広島と呉を中心に描かれていますが、多くの人の生活は、
おおよそ それほどの違いなく、誰もが営んでいた日常です。

私の母は、海辺の町に生まれ幼少期をそこで暮らします。
実家は、時計屋さんでした。
豊に暮らしていたそうです。
父親を亡くし、戦争で思いもよらぬ人生を余儀なくされ、母親は右腕を失います。
まさに、この映画「この世界の片隅に」と重なる場面が多かったです。
それだけに、身につまされる感情が動きました。

高齢化が、社会問題のように扱われていますが、それはどうなんでしょう???
今、80歳を超える多くの人たちにもあった青春時代は、
戦争と云う特別な時間の中に翻弄されました。

昨日も母と色んなお喋りをしながら、大声で笑うことも出来ました。
生きていると云うこと。
今、共に居ると云うこと。
その事が、こんなにも不思議で、幸せだなんて・・・嬉しかったです。



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by h-c-c | 2017-02-07 19:17 | Comments(0)

今、また再びのスタート

春休み。
卒業、退職、退任、、、、、。 
入学、入社、進学、進級、、、、。

あらかじめ決められた枠組みの中での流れに添ったけじめではなく、
成人し、熟年となり、自らの意思決定で選択肢の広がる時期に、
「今、また再びのスタート」に際して、あなたは何を選びますか?
自分の声は、心の底からの願いは、・・・「何」なんでしょう?
限られた時間、限られた今生の命。
自身が、生き置かれた定めの環境には、当然ながら抗えないものもあります。
しかし、境遇そのもの以上に自分自身を縛っているものはありませんか?
自分自身の思い込み、偏った思考、柔軟性を欠いた自己概念。
針ほどの一点でもいい、そこに小さな穴が開いたとしたら、
いえ、小さな小さな一点の風穴を開けることを自らが起こせば、
光は必ず漏れ入って来ます。
その光を拠り所に、私たちは、今こそペルソナを外して、
本来の自分自身が求めて止まない声の導きのもとに、
自分の人生を生き切って行くことが出来るのではないかと考えています。
あなたは、何が好きですか?
あなたは、どんな生き方をしたいですか?
あなたは、誰と生きたいですか?
あなたの魂は、今、喜んでいますか?

選択肢は限りなく広がっています。



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by h-c-c | 2016-03-06 09:49 | Comments(0)



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