気がつけば秋

巡る時代。
移り行く時。
流れる雲を見上げれば。。。高く澄み渡る空。
。。。気がつけば秋。。。

怒涛の如く押し寄せる自然災害以上に、
人的災害が生み出す不安の渦の中にさらされる今を生きる私たちの命。

人間が作り出した紙切れの紙幣が、、数字が、、、。
経済ばかりに焦点を当て過ぎる流れは、それでもまだ尚、加速する。

心理学は今の時代に在って、如何に働きかけることが出来るのだろう。
心理学は所詮単なる学問に過ぎないのだろうか。
否!と応えたい。
否!を信じたい。
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by h-c-c | 2015-10-19 17:09 | Comments(0)

政治家の劣化

一言で・・・と云うならば「教育」「学問」「人間性」に尽きるかもしれない。
義務教育が徹底化されて久しいこの国に於いて、「教育」は如何に扱われてきたか。
教育とは、決して知識の詰め込みや、丸呑み暗記の偏差値を対象に行われるべきものではない。
決してそうではない。

学問を学び、知識を得るということは、それ等を受け入れた後、
そこから続く自分自身の智慧を生みだすところに在り、
生かされて生きている己の「命」を、
自分が生き置かれているこの「時代」と「環境」の中で、
自分として、如何なる形で己の命を生かし還元させて行けるのかを考慮し
生き方を取捨選択し「自分」として生きるところにこそ、
教育が教育として本来の価値を生みだすのだろうと私としては、考えている。
時代の混乱の殆どは、人間が起こしている事であり、
「人間性」が育ちきらない異質にねじ曲がった低次元教育の末に、
私たちは、いつの間にか人間同士の信頼感さえ抱くことが出来なくなり、
「不安」にさらされながら生活を続ける危うい今に飼いならされつつある。

もはや、この国に政治家はいない。
気骨も気概も無い高額所得の政治稼業を続ける陳腐な集団は、
何処から観ても惨めでお粗末なその姿をさらし続けている。
政治は、憲法に則って身を処しながら自国、国民の今とこれからに向けて行われて然りである。
国も地方も、政治屋と呼ばれる輩は、憲法どころか法律もご存じない。
私利私欲、自我欲でやりたい放題な低次元の行為が後を絶たない。

何処かの時点で憲法については議論される必要性があることを、常々感じている。
世界の状況、とりわけ近隣諸国は、日本以上に混乱と劣化をしており、
それに向き合うためにも、現況のままで良いとは、私自身は考えていない。

結果ありき、始めっから法案成立のゴールを持っての安倍政権。
今回の出来レースは、陳腐なパフォーマンス以外の何でもない。
その一方に見る、野党の未熟な幼稚さは、目に余る。
民主党は、ちっとも成長していない。幼稚園レベルの集団にしか私の眼には映らない。

しかし、どんな時にも希望の光は必ず用意されていて、
動き始めた国民の小さな声は、今、大きなうねりになりそうな気配がある。
これを一つの流行りやブームとして消してしまうことなく、
ここからこそ、自分の暮らす自分の生きるこの国の在り方について、
変えて行けることを、創っていけることを、身をもって体験しながら、
立証させて行きたいものである。

任せられる頼もしい政治家はもはや皆無になってしまった平成日本。

劣化した政治屋の集団には、気概は無くちっぽけな面子と邪魔なプライドと、
そのくせ、次回の選挙に向けての媚びた立ち振る舞いしかないのだから。
この国に生き続け、子供や孫に受け渡すにに恥じない国は、
私たちがその気にさえなれば、きっと出来る。
困難かもしれないが、不可能ではない!と、私は熱く熱く語り続けたい。

あなたは、この度の重要法案についての一連の流れを如何にお考えですか?


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by h-c-c | 2015-09-20 09:29 | Comments(0)

秋ですよぉ~。。。

そう・・・そうなんですよね・・・。
みんな、みぃ~んな、生きてる!ってことですよ。
地球にだって言い分はあると思いますよ、きっと。
そして、
やっぱり秋です。秋は今年もやって来ました。
空が違う。雲が違う。。。。光が、日差しが、
つい、この前までと随分変わって来ましたよ。

肌にかかる風、空気が違う。
夜の、朝方の、空気の匂いが違っています。
ゆっくり感じてみましょうね。
移り行く季節に身を置いて、静かにじっとそこに居ると、
今を生きている自分に出逢える気がします。
終わり行く夏を想うと、少しもの悲しさもありますが、
巡り来てくれた秋と共に、今この時の中に居ると、
不思議な地球の循環にしみじみ心が洗われる気がします。

地球は活動期。
日本列島のマグマも活動期。
そこに温暖化が拍車をかけるから、望まない現象を突きつけられるけど、
みんな生きてるんだから、、、私たち人間だけが生きてるわけじゃないんだから、
だから。。。どうしようもないのよね・・・・・。

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by h-c-c | 2015-09-18 21:21 | Comments(0)

日本中のあちこちが、傷だらけになって行くような気がする。
それでも、何があっても、生き続けなければならない。
最初から最後まで、私たちは自分自身の「命」を運ぶことが、
私に任された大事な作業である以上…。
あらゆるものを手放しても、自分自身との一体の中で「命」は、
私のものであって、私のものではない。

救助を続ける自衛隊員の姿は、その『命』を、
しかも、それは、他者のものであるにも係わらず…。

今この瞬間にも、地球規模のさまざまな地域で、場面で、
人間は、自らの命を守るために生きている。
欧州大陸は、大移動する難民の受け入れに、
必ずしも自国民のすべての賛同を得られている訳ではない中で、
国境を超え、民族の枠を超え、思想、宗教観の違いを超えて、
人間の「命」を守り、受け入れ、共に生きる道を求めて、混乱を続けている。

そして、そこに見るのは、いつの時にも、
一人ひとりの「愛」の力に他ならない。

肩書きや権力が、人を救うのではない。
名もなき人々の、一人ひとりの愛と、それを行動化させるための
ほんの少しの勇気ある具現化だけだ。

国家は指示はするかもしれないが、彼らは決して自らが手を汚したり、
汗を流したり、膝を擦り剥いたりはしないのだ。

人間の、人類の歴史は、いつの時にも、名もなき人たちの「愛」の力と
「思いやり」に裏付けられたささやかな、それでいて偉大な営みの繰り返しの中で
続いて来たのだろうと、つくづく、しみじみ、感じている。

TVに映し出される自衛隊員の姿は、なぜにこうも感動を誘うのだろう。

名もなき人たちの偉大な行為に、心が揺さぶられる。
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by h-c-c | 2015-09-11 09:05 | Comments(0)

自分の命の使い方

誰にも分かって貰えるなんてことがそもそもあろうはずがない。
皆に好かれようなんて、はなから不可能なこと。
前を向けば後ろは見えない。
所詮、限界の枠組みの中、地上三次元に生かされている我々は、
選択肢が限りなく広がったとしても、何かを選んだ時、
その他の何かは、諦めなければならない。

絵描きは、
何のために二次元の平面に表現する行為をなすのだろう。
ことばに頼らず、言い訳をせず、自己表現の手段に選んだ描写。
同時代の人々に理解されることがないばかりか、
時の権力によってあらぬ判決まで下される人生は、
一見非運にも映ることもあるだろう。
しかし、
その判決の対象となった作品、
それを表現しないではいられなかった作家たちの背景に埋もれた真実のハートは、
時が流れ行く中で、時代を超え、国を超え、民族を超えて、
多くの人々の心に感動、歓喜、感激の魂の震えを与える。
b0122085_1871857.jpg
ガウディは、
頑固一徹で、柔らかな対人関係構築の苦手な人だった。
媚び妥協することをしない彼の生きざまは、
時として何より彼自身を苦しめもしたが、
当時の「今」と、未来の「今」を見抜いた
彼の造形的素晴らしさは、
現在の「今」、
世界中の誰もが憧れをもって評価している。

ピカソは、残虐な戦争で大事な人を失い、その悲しみと、怒り、困惑と叫びを
平面絵画の中にキュビズムとして確立させた。

芸術家に与えられる最高位、宮廷画家としての安定の日々にあったにも拘らず、
ゴヤは、人間性復活、自由を求め、風刺の形を通して、彼のゆるぎない声を挙げている。

人は、それぞれに自分の生き置かれた「役目」を通して、
時空を超えた命の使い方をすることが出来る。

ただただ、今、自分に出来ること。
自分にしか出来ないこと。
自分の為すべきミッションを感じ取ったら、勇気と覚悟で動いてみること。

言い訳は要らない。

我々が、何かを通して心に熱く受け止める時、そこには、
目に見える形を通して、耳に響く音を通して、
その根源に流れる「背景」とも呼べる魂を感じ取るからに他ならないのではないかと考える。

馬屋原 眞美子
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by h-c-c | 2015-08-17 18:17 | Comments(0)

b0122085_1057249.png 
10年振りのスペインの地。

アンダルシアの広大なオリーブの丘に、
その実は、
ただただ延々と果てしなく、
乾いた大地に育っていました。
8月のアンダルシアは40℃を超える日差しでした。

マドリッドもグラナダも、10年前とは、何かしら空気が違って見えました。
過去を懐かしがってばかりいてもいけないことは知っていますが、
世界遺産が増えすぎた所為でしょうか、街は何処も観光客が多過ぎて、
特に中国人の団体ツアーは、大型バス何台もでドッと押し寄せ、
大声で動き回るので、静寂さは一気に掻き消される感じがしました。
その昔、日本人の団体客が、世界のあちこちに出没していましたが、
人数のケタと、国民性でしょうか?マナーは少し違っています。
やはり、日本人はおとなしいです。
スペイン人も大声の巻き舌で喋りますから、それなりにうるさいのですが、
やはりそこは、何と言ってもスペインですから、こちらもその気で受け止めます。

アルハンブラ宮殿に初めて訪れた時の感動は、今でも身体感覚に残っていますが、
今回、それは、全くありませんでした。
とにかく、人が多すぎました。
一日8000人の入場者が、毎日毎日有るそうです。
イスラムとキリスト教徒が流した長い歴史の涙と血。
哀しみと怒りと、怨恨と懺悔・・・。
今に形を留めるそのアルハンブラ宮殿が抱える歴史の涙を、
10年前の私は全身に感じ、心に深くその体験を覚えたものでした。
あの時の、その場所は、今よりもっと静かでした。
静けさの有る場所では、時はゆっくりと、緩やかに流れていました。

そのことを我が身に引き寄せて考える時、
自分の命が、時間軸の中で緩やかな感覚を感じながら生きることが、
一体どれだけできるのだろうかと思います。
急がなければならないことも有ります。
慌ただしく仕事や生活に埋没する日が幾日も続いたとしても、
それでも、私たちは、自分自身の選択で、
自ら意図的に自分に与えられた時間と命の使い方に対して、
想いを巡らせるゆとりを持たなければならないのかも知れません。
b0122085_11492328.jpgそれでも、旅は、日常とは全く違った視点を持たせてくれます。
今回は、オランダ航空でアムステルダム経由でマドリッドに入りました。
機内時間が長いことには閉口しますが、
携帯電話の電源を完全にOFFに出来た10日間は、
解放感満載の素晴らしい時間でした。         眞美子
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by h-c-c | 2015-08-16 11:58 | Comments(0)

家族の中の誰かに、何か通常でないことが生じる時、
家族間のリズムもそれに連鎖して、必ず変調が生じます。
独りで暮らすことは、身軽かも知れませんが、心細くも感じることでしょう。
孤独死、孤立死、無縁死は、現在の日本に於いて、珍しいことではありません。
実際、私も幾つかの引き取り手のない孤独死に関わって来ました。

二人以上の人間同士が暮らす中では、当然ながら煩わしさも避けられません。
しかし、人は、一人では生きて行けないように出来ています。
一人では、生れて来ることさえ出来ない生き物なのです。
繋がりの中で命を生み、繋がりの中で母の胎内に育ち、
そして、
母体と分離したとしても、人は誰かの助けによって「今」を持ち得ているのです。

「自立」と「孤立」は当然ながら違うのですから、
煩わしさを避け、自分勝手に生きた果てには、
それなりの何かが有るのは当然と言えば当然でしょう。

デイサービスのお世話になったとしても、午後3時半には戻って来ます。
ショートステイの場合は、その都度手続き書類を申請して、
空きが有るかどうかによっては、毎回施設先も変わります。

依頼によっては緊急の場合もある私の仕事。
幅広い仕事をこなしながら生活を続けるにあたってのこの生活スタイルは、
私にとっては限界がありました。
結局、自分の身を削り、自分を壊してしまうことになります。

母を施設にお願いするにあたっては、私自身の内側に様々な葛藤が渦巻きました。
正体不明のストレス性の病から昨年の暮れあたりから、
今年の前半7月に粗方の結果を見るまでは、不安も手伝って、本当に大変な思いをしました。
その時、私を最も支えてくれたのは、家族でした。
感謝しきれないほど有り難く、心強く、今でも嬉しく感じています。

遂に、母を、長期入所の扱いとしてお願いすることに踏み切り、
母は今、認知症専門の介護施設に居ます。
そうなればなったで、当然ながら費用がかさみます。
それでも、「時間」が出来ました。

お陰で、今年も恒例の一泊研修も大変中身の濃い、充実したものとなりました。
参加者の一人ひとりは、他の誰かではなく、自分自身の内に深く入って行き、
自分だけの世界を見て現実に戻って来ます。

ホロトロピックブレスワークは、
能動的に自らの無意識の層に近づいて行くことのできる特殊なワークです。
独りで勝手に行うには危険も伴うワークです。
慎重に慎重を期して、安全が確保できる環境の下で実施しなければなりません。
今回のワークは、それにはふさわしく、
またそれによって各自がある程度の満足を得られるものと成りました。
皆さまの真摯な研修姿勢によって導かれたこの度の一泊研修であったことに感謝します。

そして、私はその後、8月5日~14日まで、スペインに向けて家を留守にしていました。
昨日帰国したばかりです。
ピカソの、ガウディの、ゴヤの、ベラスケスの、それぞれの魂に出逢って来ました。
感慨深い旅でした。
これについては、後日書き込みます。

HCC:馬屋原 眞美子
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by h-c-c | 2015-08-15 16:47 | Comments(0)

酷暑!猛暑!激暑!

毎日毎日暑いです。
厳しい酷暑の日々ですが、お元気でいらっしゃいますか?

当、東中国カウンセリングセンターは、明日から高原で合宿です。
360度パノラマの高原ホテル。

 夜には、星空探索…、b0122085_2344794.jpg
 天体望遠鏡を
 ホテルの方が準備してくださいます。

 メンタル不調…、
 精神が病んで来ると、
 人は己の人生の指針を失いがちになります。

 
 
 
 しかし、
 肉体の不調は、多くの場合、
 精神を拡張するきっかけとなることが多いように思います。

  肉体的病は、その病を機縁に人を精神世界に誘う。
  思いもかけない不慮の出来事さえも、
  一見不幸な時代の中にさえも、
  人間の智慧を拡張させ、深め、豊潤にするものが準備されている。

今、テレビで「永遠の0」を放映しています。
私は、映画館で3回、この映画を見ました。
  まさしく、不幸で貧しい戦争の時代ではありましたが、
  人々は如何に心美しかったことでしょう。

私たちの先人の精神に想いを馳せ、
今を生きる私たちは、もっともっと謙虚にならなければなりません。

傲慢で、飽くことを知らない自分勝手な欲望に生きる中にあっては、
真実は何一つ悟れないでしょう。

・・・・・猛暑の続く中、終戦70年の節目の時は、もうすぐやって来ます。
この国は、一体何処に向かおうとしているのでしょうか。
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by h-c-c | 2015-07-31 22:56 | Comments(0)

長らく書き込みをお休みしてしまいました。
それだけ次々とのっぴきならない出来事が、
続いていたと言うことなんですが・・・。
心労はストレスとなり、体調まで壊してしまいました。

それでも、日々の生活やるべきことは休みなく押し寄せ、
今年の前半は、殆ど病院での検査検査に明け暮れていました。

認知症の母のことで、これまでのような遠出の仕事は出来なくなりました。

「認知症は、病気なんだからと」、自分自身に言い聞かせても、
どうしてもイライラしてくるのです。

母は、もう今となっては父が亡くなったことも分かりません。
それでも、身体は元気なので、じっとしていてはくれません。

2-3歳の子供と同じような状況です。
目が離せないのです。

人には誰にでも忘れてしまいたいことや、
消してしまいたい過去があるかもしれません。
でも、
認知症になったらそんなことも不要です。
何もかも、
そうです・・・楽しかったことも嬉しかったことも・・・
すべての記憶は、自分の意思と関わりなく薄らいで行くのですから。
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健康な今、
自分が生きて、体験して来た、あらゆることを力に変えて、
自身の意思がそこにきちんと在る今は、
過去の出来事を自らの糧に、宝物に、大事に味わいながら、生きて行きたいと願っています。
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by h-c-c | 2015-07-14 21:12 | Comments(0)

幾つになっても雛祭り

子育てから手が離れて随分の時が流れる。
現在は、仕事と家事、母の介護。。。
自分のための自分だけの時間はそう簡単には取れそうもないが、
それでも、今日は久し振りに休日らしい時間が少し取れた。
懐かしい旧友が訪ねて来てくれた。
彼女も、一昨年までお姑さんの介護をしていた。

今年は、例年より少し控えめの雛飾りをしている我が家で、
桜餅と菱餅にお抹茶をたてて、泣いたり笑ったりしながらお喋りした。
桃の節句は、
幾つになっても華やかさを感じさせてくれて嬉しい気分になる。

昨日は、カウンセリング基礎講座Ⅱの最終日だった。
受講者が少なかったこともあって、
昼食は我が家で私の手作り料理でもてなした。

私は、本当に料理が大好き!
キッチンに立っていると、気分転換にもなるし、なんだか楽しい。
食材を選び完成状態をイメージして料理すれば、
まず殆ど裏切られることは無い。
稀に???ってことも有るには有るが、大方の時、
それは、私のイメージ通りとなり、美味しく美しく出来上がる。
期待に応えてくれる料理は、私にとって、素直に気持ちいいのだ。
・・・だって、他人は裏切るもの。。。。。。

今年も三月。
春ももうそこまで・・・来ている様子。
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by h-c-c | 2015-03-02 21:27 | Comments(0)