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多様性と言いながら・・・

多様性を認めましょう・・・、何て言いながら。。。
共感ばかりを求めすぎちゃいませんか。。。
私は、本来が美術畑からの出身者で在るためかも知れませんが、
創造する生み出す苦しみと表現者の孤独を、身体の奥深くに内包させています。

表現者は、鋭くありたい。
鋭敏で、且つ独創で、
「自分」「己」と云う軸を、覚悟の上に持ち合わせなければ、
自分と云うフィルターを通して生み出すものは薄っぺらいものに成るであろうと考えています。

「共感」を過剰に求める昨今の風潮は、モノ言わぬ人を作り、思考を止めさせ、
風評に流されやすく、一見温厚そうな・・・
それこそ「ゆるキャラ」がもてはやされる
現在の時代を生み出してしまっているように感じます。
考えることと言えば、
「自分が他人からどう見られているか???」
「嫌われたくない」「目立ちたくない」「良い人に見られたい」。。。
そのくせ、
「誰も私を分かってくれない」「私のことを認めてよ!」。。。
なんじゃ!   それ!

パワハラもセクハラも、行き過ぎると、
人間の「繋がり」を断ち切ることにもなりかねません。
だって、関わらなきゃいいんでしょ!ってことになっちゃいそうですものね。

明らかなハラスメントは、無論存在しています。
しかし、
学びの途上にある時、教わる側には受信者として、
発信者である先輩の声を、その受信者自身が、自身の主観のどの部分で受け止めるかで、
それは、パワハラになったりならなかったりすることもあります。

。。。。。。ずっと…ずっと昔。。。。。。
淡い恋心を抱いた頃、
「あの人は、どんな所に住んでるんだろう・・・?」って、
何となくお家を調べて、
時々用事も無いのに、その近くまで行って、その人の部屋かな?って思えるところに
灯りが付いていたりしたら、それだけで、なぜだか胸がキュンとなって、。。。
ただそれだけで、切なくなったり、嬉しかったり、、、したこと、…ありませんか?
もし、そんな事が一度も無い人がいたら、それはそれでチョッと寂しいかも知れませんね。

実ることのない、懐かしく、淡く幼いほのかな思い出です。
それも、今では、ストーカーになるのかと考えると、これからの若い人は、
どうやって、淡いプラトニックラブの初恋を体験するのでしょう。

やさしく、柔らかな人と人との関係性を維持させるためには、
片方で、
鋭く表現する率直で厳しい人間の存在が不可欠ではないのでしょうか。

癒しを求める人が多すぎます。
他人の評価ばかりを気にする人が多すぎます。
その結果、烏合の衆と化し、二元論に陥り、右へ左へ流れ込んでしまうのです。

自分の生き方は、自分が考え、決めなければなりません。
その昔の私たちの先人は、高学歴者では無かったかもしれませんが、
潔く、カッコ良かったです。
その生き方は、率直で、凛として、粋でした。
今、外側に多くを飾りつけていたも、それはダサくて、野暮ったいです。

烏合の衆に成り下がらないように・・・
自問自答・・・、
だから、、、その上で、私はどう考えるのか。。。
「己」自身に問うて生きて行きたいものです。





by h-c-c | 2018-05-20 16:23
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