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認知症の母と居ればこそ…の実感

日々の暮らし、連続の生活には、安らぎもあるが逃げ場のない現実もある。
朝から夜、寝付くまで。
認知症の母と伴に暮らす私の頭の片隅には、
仕事をしていようと、傍らに母が居無かろうと、
常に母の動向を気遣う緊張感がある。
それは、
想像を超えて、筆舌に尽くしがたい葛藤と苦悩の連続ではあるが、
片方でまた、
他では得難い体感的実感を伴う、深い気づきにも到らしめる。

人は何ゆえに周囲の評価を過剰に気にするのであろうか?
他者の視線、他者の評判に心乱されるのは何ゆえか?
幾ばくかの評価が、何になると言うのだろう。
いつの日にか、そんなものは分からなくなるのに・・・。

己自身が心底、自身の満足感を味わうこと無くして何の評価か?
真実の「主」、本来の「従」を見定め、それにつき従うこと。
「自我」を統治する「自己」を。
「心の声」に耳を澄ませながらも、心に操られない。
心を、さらに統御する生き方を。

自分が、今ここで、現在只今、名もなき者になろうとも、
それであっても、尚、
自分は存在する意味があったと思えてこそが、
生きぬく姿の目指すべきものであるだろうとの想いに到っている。
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母と伴に居る中で、
私は今、
改めての自分発見をしている。

認知症の母が居ればこそ、
私の中に生じて来る哀しみ、苦しみ。
それは、
時に切なく、時に虚しく、腹立たしく苛立ち、
湧き起こる怒りに、
胃がよじれるような痛みを伴う。

そうでありながら、一方では、
やさしさが湧きあがり、
あたたかく、柔らかく、緩やかに待てる私が居る。
様々に混在する「わたし」に出逢う。
千路に乱れる「自分」を見る、もう一人の「自分」。

・・・こうして、今日も一日が終わる。
by h-c-c | 2014-05-18 20:31
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