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誰もが『何か』を抱えてる

哲学から宗教学へ、宗教学から心理学へ。
私の学問的遍歴は、長い。
そして、カウンセリングの世界に足を踏み入れて22年の歳月が経つ。
様々な角度から、自分が学び得たものを自分の内側に照らし当ててみる。
其々の教えや考え方の中からも微妙に違う理論背景があることに気付く。
それは、他でもない自分に照らしてみるからこそ見つけ出せる
自分の違う側面に、その理論の光が当たるからだ。

私は、私と言う一個のフィルターを通して世界を見ている。
それは、あなたが見ている世界とは、違うものを見ているかもしれない。

カウンセラーとなって、
仕事が故に関わりを持つことの出来た多くの人たちがある。
そのいづれもの人たちは、皆一様に、深い『悩み』を抱えている。
混乱し、葛藤し、苦しみ、もがき、その「心境の場」からの脱出を願いながら・・・、
・・・・・そして、・・・しかし、・・・・・そこに居る。

私にも、数え切れない哀しみがあり、苦しみがある。
それは、『それこそが、生きている証しだ』と、
何処かで自分自身に言い聞かせているようでもある。

何時の時においても、『精神だけは常に自由である』と、言いつつも、
何時終わるともしれない哀しみと深い深い闇に沈む不安感は、
筆舌には尽くしがたく、苦しい。

語れる友のあること。
聴いてくれる仲間を持てる幸せは、この上ない幸せとなる。

クライアントであろうと、カウンセラーであろうと、
そんな事には無縁のような誰かであろうと、
生きている限り、人は、誰もが哀しみを抱いている。

だからこそ、優しくなれるし、強くもなれるのだろうが、
「生きる」ということ、「生きている」ということ、
『命』を最後のその日まで、運び、送り続ける日々の作業は、
なぜに、かくも容赦ないのだろう・・・。

馬屋原 眞美子
by h-c-c | 2012-12-17 10:42
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