情報は智慧にはならない

溢れる情報。
手軽に入手できるPCからのマメ情報。
耳を塞いでも、目を閉じても、押し寄せてくる情報。
確かに、情報は、人を動かす大きな刺激材になるという側面も持つ。
しかし、それを個(己)に戻して改めて見てみる時、
これは、決して知識にはならず、
ましてや、智慧にまで高められることのないことに気づく。
万一、情報を一つの手立てとして、自分の智慧に落とし込みたいならば、
それは、その大前提として、
己個人の内側に、何らかの精神的な確立と、
溢れる情報に振り廻されることのない自我の知的形成が必要とされる。
情報をたくさん持っている事は、大した自慢にはならない。
私も、流行が嫌いではないし、ミーハー傾向も大いに持ち合わせている人間だが、
一方的に送りつけられてくる今の情報の過剰発信には、
いささか迷惑を被っている一人でもある。

b0122085_873013.jpg書物をひも解きましょう。
足を使って、
身体を使って、学びましょう。
他人に逢いましょう。

人と人の生身の交流から、
情報ではない、智慧を学びましょう。
知識を深め、
静かに思考探索の時間を持ちましょう。

人生の深い味わいは、
短絡的に得られるものではありません。
短絡的な情報交換に慣れ過ぎた、現代の新人類の若者の中には、
実際に動き始めることにさえ苦痛を感じるようになって来ている人たちが、
少なからず増えてきつつあることを知りました。

「学問」に親しみましょう。
「学習」を習慣化しましょう。
メールやPCだけじゃなく、
目の前に「人間」の姿を見ながら、
温度差を感じたり、温もりに救われたりしながら、
対話を通して語り合いましょう。
生身の人と人との交流の中からでなければ、得られないものがあります。
そうしながら・・・、
人生は、きっと豊かになって行くのだろうと、私は考えているのですが、、、。
如何でしょうか?

そして、それをするには、好い季節になって来ました。

馬屋原 眞美子
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by h-c-c | 2012-10-05 07:45 | Comments(0)