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・・・つづき七

久々の・・・つづき七・・・です。
あの時のことを思い出すと今でも、胃の辺りが重苦しくなって、
胸から喉に掛けて締め付けられるようになる。
「なぜなんだろう???」って、考えるんだけど、よく分からない。
短い時間内に生じた関係性の中での行き違いであったことは確かなのだが、
それが、なぜ、あんなにも苦しくなり、哀しみを誘い、
怒りに変わって行ったのか・・・。
「広島県の人は、何かあると『平和、平和』って、それしか言わないよね。」
「原爆のことって、もうずっと昔のことじゃない。いつまで言ってるの。」
「戦争の話は、もういいよ。」
私はその時・・・彼らのそれらの内の、どの言葉に特に反応したのだろう。
そして、それは、それこそ、もう6年も前のことなのに。
何が、いまだに私をそこに引き戻して、彼らを嫌いにさせているのだろう。

人間というものは、まず始めに何かを感じる。
感じたことに反応し、次に考える。
まずは、ただ単純に感じる。その時の私も、単純に反射的に感じたのだ。
他者にとってではない。
人は誰も、自分にとって感じたことが、発露となる。
些細なことであろうと、重大なことであろうと、
それは、他の誰でもない「自分」のものであり、
その「自分」を中心に、自分の思考と感情の間で、
記憶として思い起こしては、グルグル巡らせ、身体反応として細胞、筋肉が覚え込む。
「考える」ことによって、それは徐々にその人自身のものと成り、
反射的に生じた感情は、「考える」行為を通して、
自分という一人の人間の内側に落ち着き、
それは、やがてはその人の価値観と成り、その人の人間性に取り込まれて行く。
それは、時としてその人の文化と成り、哲学と成る。
・・・のではないだろうか・・・と、そんな風に考えている。

きっと、その時のやり取りと、その場の空気が、
「私」という「自分」には、大変大きな違和感として襲いかかってきたのだと思う。

あの第二次世界大戦を、原爆投下の敗戦を、核の洗礼を受けた日本を、
もっともっと、日本人が、大事な教訓、体験として、
国民全体が、心底共有していたならば、
この地震国の島国に、原発をこんなにも次から次へと
造ったりなんかは、決してしていなかったはずだ。
今頃になって、放射能のことを急に恐れたりなんかしないでほしい。

せめて、東京大空襲の時点で、敗戦を告げていたなら、
広島・長崎は原爆の被害には合わずに済んだはずだ。
そして、いまだに多くの人が、何代にも渡って苦しみ続けることも無かった。
それと同じことだ。
あの戦争の失敗を広島・長崎だけの問題に置き去りにした時から、
今回の東日本の悲劇のシナリオが、動き始めていたのかもしれない。
天災は、抗えない。
しかし、この人災は、体験を、歴史を、事実を、直視しなかったからこそ
招いてしまった多くの日本人の生き方の結果だと、
どうしても、私の想いは、そこに行きついてしまう。

・・・つづく・・・

馬屋原 眞美子
by h-c-c | 2011-07-01 22:54
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