「傾聴」・「カウンセリング」・・・。
自分の考え方や言い分を、否定しないで、説教しないで、
口を挟まずに、ただただ聞いてもらうだけで、
人間と云うものは、まず一歩のスッキリ感を体験する。

精神的浄化作用=カタルシス効果 が、起こるから。
気持ちの吐き出しは、それなりに結構な力を発揮する。

なぜなら、そうは言っても、
何も言わずに自分の言い分をただただ聞いてもらうだけ!の
体験さえ、人はそうそう経験していないから。

物理的な観点からすると、
身体内に異物が入ると、人は生命維持の為、吐き出そうとする。
体内には留めない。
吐き出す、下痢をする、体外に出す努力をする。
「想い(感情)」も同じこと。
我慢しすぎて、留め過ぎることは、体調不良を起こす。

カウンセリングは、結局聞くだけでしょ。。。って言う人もいる。
聞くじゃなくて、「聴く」なんだけどなぁ~。
しかも、
その聴くは、、、「傾聴」の本質は、そんなに簡単じゃないから。

カウンセリングには段階があり、
一足飛びには「対決」には行けないけれど、
「オーセンティックセルフ」に到る道を覚悟と共に歩む時、
自分自身の生きる道は、湧き起こる生きる力に支えられて開花する。



[PR]
# by h-c-c | 2018-08-11 15:00 | Comments(0)

連日、一日に最低でも7~8通の
匿名メールカウンセリングの依頼が送られて来ます。
ごめんなさい。
申し訳ございませんが、
私は20年前からメール及び電話によるカウンセリングは行っていません。
メンタルカウンセリングの実践者としては、
思考によって組み立てられた言語化できる「ことば」には、
それほど重きを置いていません。
人の心の深い部分は、ノンバーバルな表現にこそ映し出されるからです。

無論、人には段階があり、引きこもっていて他者に会うことさえ辛いから、
せめてメールで気持ちをきいいて欲しい。。。そういう人もあるでしょう。
話を聞いてもらうだけでも良いので、、、だから電話で。。。そういう人もあるでしょう。
それは、知っています。

カウンセリングにも、傾聴にも、段階があります。

申し訳ございませんが、私には、対面しないカウンセリングは、
相手の顔が、表情が、観えないカウンセリングは、
出来ないのです。
傾聴も、カウンセリングも、ましてや、セラピーとなると、
その90%以上は、観察とともに進んでいくものだからです。

自分の事です!
自分を本気で何とかしたいのならば、
まず一歩、
動いてください。
カウンセリングのその「場」に出向いてください。

時代を動かした幕末明治の風雲児たちは、情熱と心ざしで、
車も新幹線もスマホも何もない時代に、
動いたのです。歩いたのです。駆け回ったのです。
この国の未来と、この国に生きる民の為に。

メールカウンセリングの依頼を送って来られる方、
「自分自身」のことです。
本気を出して。
覚悟を決めて。

そんなあなたの為に、カウンセラーもまた、本気で誠実に取り組みます。
逃げ腰では、本当のことは掴めません。



[PR]
# by h-c-c | 2018-08-08 23:27 | Comments(0)

選挙になれば地方に戻り、「お願いします」と頭を下げ、
出来もしない、いえ、そもそもやる気も無い公約を並べたて、
選挙が終われば、国民の税金を食い物にして権力で国政を私物化する。
総理のお膝元、西日本で多くの人が、現在只今の生活に困窮している時に、
議員総数増員を無理やり通そうと企む。
(ちなみに議員6人増員すると年間報酬として1億円以上必要)
来年上がることに決まっている消費税は、政治屋の給料に回すためじゃないぞ!

民主党の野田さんが、あの時、安倍さんと約束したことばを、私たちは覚えている。
しかし、そんなものは無かったかのごとく、安倍は夫婦そろってやりたい放題だ。

国民が置き去りにされていくこの国の政治のありようは、絶対に間違っている。

国民の多くが、何も納得していない森友・加計問題を筆頭に、公文書の偽造、
汚職、モラハラ、パワハラ、ありとあらゆる案件がゴミのように積み重ねられ、
勝手気ままに私物化して行く、今の政権は、一体どこを見て政治をしているのか。

この災害時に、今やるべきことは、カジノ解禁法案か?
経済効果って、何だ?
リスクの方が大きいに決まっているのに。。。
この国を、どうしたいのか?

東日本大震災以降、進まない原発問題。
放射能は、今も垂れ流しだ。

三権分立は形骸化し、弱体化し、
官僚は事務仕事に追い立てられている。
民主主義は数の原理と、ねじ伏せてくる権力の前に息をひそめる。

勿論、私たちも弱過ぎるのだ。

今回のこの、私の暮らす広島県を中心に多くの犠牲者を出した
西日本豪雨大災害の復興は、10年20年では効かず、
建築地盤から見直さなければ、「コアストーン」による地盤地質から、
土砂災害は繰り返されてしまうことを私たちは知った。
広島県内の新しい住宅団地は、確かに山際に多く、
町場であっても、下水管の対応が遅れているところは、簡単に水が溢れる。

個人レベルで出来ることと、公が担うことは自ずと違いがあるのだから。

そんな時に議員定数を増やすだなんて、どの頭での発想か!?!
人口が減り、働き手が減って行くこれからの社会に、
頭数だけの政治屋を増やすな。
まるで、悪徳お代官サマだ。
国民から年貢の取り立てばかりせがむ悪徳代官そのものだ。
役人のはびこる国は、必ず行き詰まり崩壊する。

何もかも、肝心な事が置き去りにされる。
大事な事が、後回しにされている。

個人のメンタルを国家が潰しにかかっている。
税金は、国民の為に使ってくれ。
議員を食わせるために使うな。

こんな事を続けていたら、この国は本当に崩壊する。



[PR]
# by h-c-c | 2018-07-12 16:11 | Comments(0)

凄い雨でした。
何時間も何時間も雨が降り続きました。
不安と危険の妄想と、成り続けるスマホからの緊急事態通知で眠れませんでした。
それでも、TVは、オウム事件の死刑執行とタイ洞窟の状況ばかりを流していました。
西日本の国民は、軽んじられていると痛切に感じました。
欲しい情報は、入って来ません。
TVが流す少しばかりの被災状況は、まるで、何かの物語を語るかのようでした。

そもそも政治、まつり事の始まりは、地域の住民の命と生活を天候から守る!こと。
これが、起源と聞いています。
人智で抗えないお天道様を前に、畏敬の念を抱きつつ、人生の経験者である老人や、
祈祷師、雲の流れや風の匂いで、危険を読み解く能力の人たちの力を借りて、
多くの民の命と安全を守って来たのです。

ところが、今やどうでしょう。
世界優秀の天気予報機器を開発し、常備させながら、
毎年毎年繰り返される、天災から引き起こされる人災は、年々苛酷さを増しています。

もはや、この国は、日本中何処に居ても安全ではないのです。

考え方を変えましょう。
対応の仕方を変えましょう。
システムそのもの、制度のあり方そのものを変えなければなりません。

さしずめ、甲子園の高校野球、夏にやるの止めませんか?
死人が出ますよ!
甲子園球場のあの暑さは、昔の環境ではないのです。
40℃になりますよ。
愛する孫の応援に行くおじいちゃんや、おばあちゃんは、体力的に限界です。
選手だってきついです。

「秋の甲子園・高校野球」…、ぼつぼつ本気で検討してください。

国の要を司る方々、まずは、国民の安全に本気で目を向けてください。

後手後手の支援ではなく、先手先手の攻略、防衛を!!

。。。私はそのように考えています。

[PR]
# by h-c-c | 2018-07-10 15:37 | Comments(0)

繰り返される毎日を、あなたは、悠々と生きていますか?

「カウンセリング学」を学ぶということは、
カウンセリングの諸理論の背景にある「心理学」をベースに、
さらに、その基盤にある「哲学」に支えられた「人間」の観方、捉え方等を
含んで学ぶということを意味します。

フィジカルとメンタルだけでなく、それらを左右する各人特有の「認知」の仕方。

「カウンセリング学」を学び続けるということは、
「人生」そのものの捉え方に、大きな気づきと転換をもたらします。

だから、楽しい。
だから、奥深い。
だから、引き込まれ、「自分」自身が、悠々としてくるのです。

しかも、そして、その学びは決して苦痛ではなく、楽しくて嬉しくて納得感があります。

「宗教」ではありません。
規律も、戒律もありません。
何を選ぶかは、各人に委ねられています。
唯一、ひとつの正解があるわけではありません。
絶対主である、誰かの価値観に無理やり付き従うことを強要しません。

それは限りなく自由であり、「自分の人生の主人公である自分自身」に任されているのです。

そんな一人ひとりが、まともな「カウンセリング学」を学び続け、
それを自身の血肉に変えて、カウンセリングの現場に臨み、
間主観的な関係性の中で、クライアントと共に居続ける特別な空間を
『カウンセリング』と呼びます。

カウンセリングとは、決して安直なものではなく、奥深く興味深いものです。


[PR]
# by h-c-c | 2018-06-28 10:03 | Comments(0)

嬉しいことではあるけれど。。。。。
なんだ、ナンダ、何なんだ???
日本代表サッカーチームに対しての手のひら返しの反応は。
・・・だからね、、、そんな、もんなんですよ。
他人の評価や風評なんて。

そんなもんに怯えて、他人の眼ばかり気にして、ビクビク、ドキドキして、
引きこもってるなんて、もったいないですよ!
自分で殻を作らない。
自分で心に城壁作って、すごいバリアで囲ってみたって、
他人は他人。
自分を本当に大事にするためには、「自分自身を信頼する」。
これしかないんだから。

自分の人生は、自分のもの。
他人の評価に怯えないで。
他人の人生は他人のもの。
他人の人生に、むやみに踏み込んだり、他人の人生を壊したりしちゃいけない。

本当の意味で、
自分を大事に出来る人にしか、他人を大事には出来ないから。。。。。

[PR]
# by h-c-c | 2018-06-22 09:21 | Comments(0)

NHKで放送しているチコちゃんって言うCG5歳児。
かわいいとは言い難いキャラの女の子が仕切ってる番組。
おもしろいのよね、これが結構笑えちゃうんですけど・・・。
雑学番組みたいなもんなんだけど、何も疑問に感じないまま、
当たり前のように日常でやり過ごしてる事を、改めて問われちゃうわけですよ。
チコちゃんに。
そうすると、それに対して答えられない大人たちが皆叱られちゃうんです。
「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」って。
街頭でも、色んな人に問いかけるんだけど、皆、分からない。
そうすると、これまた、叱られる。
「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」って。

んんん・・・・・、
天災も人災も含めて、次々と、
人類に対して、その生き方を問われ、難問を突きつけられている現代。

だからこそ、
こんなこと言っちゃうと、叱られてしまうけど、
「ボーっと生きて行こうよ!」
ボーっと出来る時には、ボーっとしてようよ。

『ボーっと出来る』って、最高に幸せじゃん!!


[PR]
# by h-c-c | 2018-06-19 19:10 | Comments(0)

昔からあったとは予測できるが、近年、頓に「私は話すのが下手です。」
「どのようにしたら人が話を聴いてくれるようになりますか?」
という問い合わせを含むカウンセリングが増えて来た。

・・・???・・・

あなたは、もじもじ、ボソボソ…話しますか?
回りくどく、結論までになかなか辿りつけない話し方ですか?
ねちねち、くどくど、。。。???
単刀直入に、ズバッと、要点だけ???
楽しくユーモアを交えて?
さらっと? チャらく? 
・・・んんんん????・・・
それ以前に、話し始めるタイミングが掴めないとか???

どうでしょうか?
自分の話し方の特徴的な点は?

延々話しても、何言ってんだか良く分かんない人がいるかと思えば、
「うん。」って頷いて、変化させる表情だけで自分の気持ちを十分相手に伝える人もいる。
何が違うんだろう?????

最近、報道を席巻しているかの日大首脳陣、例のアメフト事件の対応姿勢。
視聴者他、これを見ている多くの人は、彼らの何を聴いているのだろうか?
彼らの発言する「ことば」か?
否!! である。

多くの人は、観ているのだ。
話し方、その時のそぶり、微妙に変化する表情。
自分が見られていることに全く鈍感過ぎるから、
「ことば」ばかりを拠り所とし、それにだけ注意を払おうとする。

『自分がした事なのに、その事を簡潔に話せない』…、
その時、
一体何が起きているのか?
「隠し事」があるからだ。
その人は、大事な「何か」を、浅はかな保身のために隠している。

訳のわからない妙な理屈で延々説明を続ける、官僚や政治家しかり。
セクハラ、パワハラ疑惑に応じる肩書だけを頼りにする人しかり。

正直に生きる時、その言葉は、シンプルで、相手の心に届く。

私たちは、正しさを求めているのではない。
正直であること。率直であること。誠実であることを求めている。

それは、常にシンプルで、軽やかで心地良く、人の心を動かす。


[PR]
# by h-c-c | 2018-05-26 15:45 | Comments(0)

多様性を認めましょう・・・、何て言いながら。。。
共感ばかりを求めすぎちゃいませんか。。。
私は、本来が美術畑からの出身者で在るためかも知れませんが、
創造する生み出す苦しみと表現者の孤独を、身体の奥深くに内包させています。

表現者は、鋭くありたい。
鋭敏で、且つ独創で、
「自分」「己」と云う軸を、覚悟の上に持ち合わせなければ、
自分と云うフィルターを通して生み出すものは薄っぺらいものに成るであろうと考えています。

「共感」を過剰に求める昨今の風潮は、モノ言わぬ人を作り、思考を止めさせ、
風評に流されやすく、一見温厚そうな・・・
それこそ「ゆるキャラ」がもてはやされる
現在の時代を生み出してしまっているように感じます。
考えることと言えば、
「自分が他人からどう見られているか???」
「嫌われたくない」「目立ちたくない」「良い人に見られたい」。。。
そのくせ、
「誰も私を分かってくれない」「私のことを認めてよ!」。。。
なんじゃ!   それ!

パワハラもセクハラも、行き過ぎると、
人間の「繋がり」を断ち切ることにもなりかねません。
だって、関わらなきゃいいんでしょ!ってことになっちゃいそうですものね。

明らかなハラスメントは、無論存在しています。
しかし、
学びの途上にある時、教わる側には受信者として、
発信者である先輩の声を、その受信者自身が、自身の主観のどの部分で受け止めるかで、
それは、パワハラになったりならなかったりすることもあります。

。。。。。。ずっと…ずっと昔。。。。。。
淡い恋心を抱いた頃、
「あの人は、どんな所に住んでるんだろう・・・?」って、
何となくお家を調べて、
時々用事も無いのに、その近くまで行って、その人の部屋かな?って思えるところに
灯りが付いていたりしたら、それだけで、なぜだか胸がキュンとなって、。。。
ただそれだけで、切なくなったり、嬉しかったり、、、したこと、…ありませんか?
もし、そんな事が一度も無い人がいたら、それはそれでチョッと寂しいかも知れませんね。

実ることのない、懐かしく、淡く幼いほのかな思い出です。
それも、今では、ストーカーになるのかと考えると、これからの若い人は、
どうやって、淡いプラトニックラブの初恋を体験するのでしょう。

やさしく、柔らかな人と人との関係性を維持させるためには、
片方で、
鋭く表現する率直で厳しい人間の存在が不可欠ではないのでしょうか。

癒しを求める人が多すぎます。
他人の評価ばかりを気にする人が多すぎます。
その結果、烏合の衆と化し、二元論に陥り、右へ左へ流れ込んでしまうのです。

自分の生き方は、自分が考え、決めなければなりません。
その昔の私たちの先人は、高学歴者では無かったかもしれませんが、
潔く、カッコ良かったです。
その生き方は、率直で、凛として、粋でした。
今、外側に多くを飾りつけていたも、それはダサくて、野暮ったいです。

烏合の衆に成り下がらないように・・・
自問自答・・・、
だから、、、その上で、私はどう考えるのか。。。
「己」自身に問うて生きて行きたいものです。





[PR]
# by h-c-c | 2018-05-20 16:23 | Comments(0)

日本におけるカウンセリング対応の初期時代は、
健常者、精神障害者ではない人を対象に実施するように進められて来た。

いつのころからか、それでは立ち行かなくなって来た。

ボーダーとおぼしきクライアントが目立ち始め、
カウンセラーにとって初回面談でのアセスメント、看たては、
その後のカウンセリングを左右する重要な時間となる。

一般的に「自分を大事にするんだよ」とか「自分を愛せない人は他人を愛せない」
などと言い、それはそれなりに一つの真実でもある。

一方、偏ったプライド、旺盛な自己顕示欲を持つ人。
何処か、何かが微妙に違う・・・、
結局、愛着障害は自虐的行為に走りやすくなる。

表裏一体に存在するこの世のあらゆること事は、
片面からだけでは伝えにくく、見え難く、理解しがたい。

「癒されたい」、、、
それは何かによって、誰かによって、癒される事を欲するのではなく、
「癒す」のは、最終的には常に自分で癒すしかないのだから、、、。

自分を愛するということは、相対的ではなく、絶対的であるし、
「命」の下に存在する自分自身を「今、このまま」抱きしめることであり、
その自分が、どこまで自分を自分の生き置かれた環境下で、
繋がりをもって還元できるか、、、。

健全な心理状態、
オープンでしなやかなメンタル状態を、ある程度保持できる時、
人は「自分にも他人にも愛を注ぐことが出来る」。

愛着障害は、
今後の人間社会に一つの大きなテーマを呼び込むに違いない。


[PR]
# by h-c-c | 2018-04-03 17:38 | Comments(0)