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HCC コミュニティ ひろば

日本におけるカウンセリング対応の初期時代は、
健常者、精神障害者ではない人を対象に実施するように進められて来た。

いつのころからか、それでは立ち行かなくなって来た。

ボーダーとおぼしきクライアントが目立ち始め、
カウンセラーにとって初回面談でのアセスメント、看たては、
その後のカウンセリングを左右する重要な時間となる。

一般的に「自分を大事にするんだよ」とか「自分を愛せない人は他人を愛せない」
などと言い、それはそれなりに一つの真実でもある。

一方、偏ったプライド、旺盛な自己顕示欲を持つ人。
何処か、何かが微妙に違う・・・、
結局、愛着障害は自虐的行為に走りやすくなる。

表裏一体に存在するこの世のあらゆること事は、
片面からだけでは伝えにくく、見え難く、理解しがたい。

「癒されたい」、、、
それは何かによって、誰かによって、癒される事を欲するのではなく、
「癒す」のは、最終的には常に自分で癒すしかないのだから、、、。

自分を愛するということは、相対的ではなく、絶対的であるし、
「命」の下に存在する自分自身を「今、このまま」抱きしめることであり、
その自分が、どこまで自分を自分の生き置かれた環境下で、
繋がりをもって還元できるか、、、。

健全な心理状態、
オープンでしなやかなメンタル状態を、ある程度保持できる時、
人は「自分にも他人にも愛を注ぐことが出来る」。

愛着障害は、
今後の人間社会に一つの大きなテーマを呼び込むに違いない。


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# by h-c-c | 2018-04-03 17:38 | Comments(0)

メンタルヘルスの掛け声がこの国に響きだして久しい。
厚労省の本体不在にさえ感じられる「メンタルヘルス」の掛け声は、
当初、現場に於いては理解され難く、この国特有の個人責任に転化され、
「根性論」にすり替えられて来た経緯がある。
12-3年前から、企業のメンタルヘルスに関わってきた私としては、
開催主催者側に、殆ど理解されない中で取り組む困難さを感じていた。

先輩・高齢の管理職社員は、「昔はもっと厳しかったんだぞ。」
「俺たちは、手取り足とり教えられたことなんてなかった。」
「殴られたって文句なんか言えなかったし。」
「環境も、制度もホントに不十分な中でやってきたんだぞ。」
「要は、根性が無いんだな!」
「若い奴らは、権利ばかり要求するんだよ。」
「いつからこんなに軟弱になったんだろうな?我慢をしないんだよ。」
・・・・・、
しかし、そこに矛盾や行き詰まりを見つけたから少しずつでも正そうと
今、本来あるべき人間を大事に扱うための改善に向けて動いているのだ。
制度・システム・契約書、目に見えるもので改善を図る。
社会的環境や物理的環境、目に見えるもので改善を進めても、それでも尚、
尚、尚、残る環境から受けるのが「メンタルヘルス」に関わってくる目に見えないもの。

対人関係であったり人間関係であったり、その場に在る風土、文化、特有の空気感。

そうした中で最たるものは「時代」ではないかと考える。
「時代」が生み出す環境。
「時代」に流される人。
「時代」を創り出す人。

メンタルヘルスは、それ独自が個別に保たれ育つものではなく、
環境からの影響を受けながらリンクされて変化して行く。
根性論だけで解決できるようなものではない。

この国がどのような国になって行くのかを、私たち一人一人はもっと
真面目に真剣に見定めなければならない。
「時代」と「政治」~「環境」~「メンタルヘルス」。
「政治」を生み出すのは、その時に生きている
一人ひとりの「人間」のあり方ではないかと考えている。

今、この国に起きていること、世界との繋がりの中で、
この国が進めようとしていること、
政治屋自身が何処を見て政治をしているのか、それがどんな環境に変化するのか。
「…どうせ何もできないし・・・。」ではなく、
今、目の前に起きている外界の社会環境を、きちんと見て行こう。。。
必ず自分のメンタルヘルスに影響してくることなのだから。


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# by h-c-c | 2018-03-11 09:22 | Comments(0)

心が揺さぶられる時

政治家の劣化。
官僚体制の死んだ組織。
俗に言う世界を動かす地位に居て、権力にしがみつく人間の堕落。

それでも、
人間は素晴らしい。
正直、冬のオリンピックは暖かい西日本に生れて暮らす私にとって、
今一つ期待感を持って待ちわびる程の好奇心は無かった。
朝鮮半島の見るに堪えない政治利用の裏工作もうんざりだった。

にもかかわらず、、、、
日ごとにグングン引き込まれていった冬季オリンピック。
終盤には号泣しながら、TVの前で心を揺さぶられている私がいた。
人は、なぜ、いかにして、どのような時に、「心揺さぶられる」のだろうか。
その人の生き方に対して。
たった一つのその命を、一度きりの瞬間瞬間の時間の中で使いきるその生きざまに対して。
一途な姿勢に対して。
ひたむきに挑戦し続けるその姿に対して。
一つの結果は、短時間の内に瞬時に燃え尽きてしまうが、
その輝かしい結果から、
私たちは、そこに辿りつくまでの長い長い苦悩の時間が確かにあった事を思い描くことが出来る。
その行為が、感動を呼ぶ。

一途であること。
誠実であること。
絶ゆまず諦めず遅々たる道を歩むことは、決して安易ではない。
しかし、また、その事なしに、安直に「結果」は得られない。

必ず来る「死」に臨んで、何よりも自身に恥ずかしくない生き方をしたいものだと思う。
「命」を何に向かって使うのか。どのように使うのか。
その生き方の、その姿が、人の心を揺さぶり、人に勇気を与え、人を動かす。

。。。。。
国有地払い下げの問題、公文書の書き換え問題、民主主義が地に落ちて、
この3月、4月の間にこれから何人の血が流れるのだろう。
表に上がらない内にもみ消される職員の命。
人の命も人生も、その背後にある家族のことも思いやれない政治家に、
そもそも国民の安心と安全を本気で守ることなんて、、、、
考えてもいない、としか思えない。



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# by h-c-c | 2018-03-09 22:38 | Comments(0)

人間の力は不可思議

私の母は、認知症だ。
要介護度はマックスの5。
全介助を必要とし、反応の力も今となっては殆ど空しい。。。
というか、虚しい状態だった。。。
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実は、
母は正月明けにインフルエンザにかかった。
38,8度超えが続き、呼吸は荒く、うめき声を上げ、
幻覚症状からか、見えないものを追い払おうとしたりしていた。
正直、
もし万一、このまま肺炎にでもなったら!?!?!
母を死なせてしまうのかもしれないと不安がよぎり、
隔離室に入院させ、タミフルを5日間使用した。
母も、全身全力で、生きる力を振り絞ってくれたのだろう、
10日間もすると、体力を取り戻してくれ、
私たちは安堵した。
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しかし、
驚くのは、ここからなのだ。
なんと、母は復活した。
去年までとは、打って違って反応がしっかりしてきたし、
話も出来るようになったし、
自分で寝返りをしようと「ヨイショ。ヨイショ。」と掛け声をしながら、
頑張ろうとするのだ。
なんちゅうこっちゃ!
何が起こった!
不思議でならないが、高熱が続いたおかげで、
理解不能な何かが作用し、脳に何か変化が起きたのか?
はたまた、タミフルの所為か???
何の根拠がごもっともなのかは、素人の私には全く分からないが、
これって、もしかしたら、
認知症患者の復活で、学会に発表できるほどのことかもしれない。
・・・なんて、考えたりもしている。

完全にゲシュタルト崩壊に向かい続けていたと見えていた母は、
ここにきて、新たなゲシュタルト能力を発揮し始めた。

何たることか。
昨日も今日も、母と居ながら、大変さに違いはないが、
人間の持つ不可思議な生きる力、底力には感心させられるばかりである。


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# by h-c-c | 2018-02-02 20:16 | Comments(0)

生理学上、機能形態にはそれぞれの役割があり、差異はあって当然ですが、
心の仕組みから見ると、男も女も大差はありません。

心も身体も自己防衛の為に働く基本的な理屈が一つであるように、
男も女も人間同士、そもそもの感情反応は同じです。

誰だって、厭なことされたら辛いし、悲しいし、悔しい。
無視されたら寂しいし、惨めだし、苦しくなる。
一人になりたい時はあるけど、
独りぽっちにされたら、疎外感を感じ、孤立感を感じ、辛くなる。

自分の感情をもっと素直に出しましょう。
男だって寂しい時には寂しいし、悲しい時には泣きたいのです。
女だって怒りが湧けば喚きたい時もあるのです。

感情は、人間共通のものです。
性別によるものではありません。
感情表現が歪められているのは、間違った価値観を刷り込まれているからです。
女は。。。じゃなきゃいけない…とか、
男は。。。であるべきだ…とか、、、。

高齢化社会はますます進み、
長い時間生きることが許される時代になりました。
と、いうより、死ねない時代に入って来ました。

時間が、ずっとずっと有るのです。
共に生きて行くこの時間を、同じ人間同士として、
分かり合おうとする大らかさを身につけたいものです。

セクハラ!に極端に目くじら立てていると、
好意を持った純粋な感情までもが歪められたり、
圧し殺されてしまいます。

もう少し余裕を持って、
もう少しだけ緩やかに、
やさしく…ゆったり…できないものですかねェ~~。


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# by h-c-c | 2018-01-30 22:11 | Comments(0)

心も身体も仕組みは同じ

自分を守るのは自分である。
インフルエンザもノロウィルスも外側から攻めてくる。
私たちの身体は、自分を正常に戻すために、
発熱する。
下痢をする。
苦しいけれど嘔吐して、自分に不要なものを外に吐き出す。
身体の防衛機能が働いてくれる。

辛いことが重なる。
嫌な目に遭う。
悲しいことが続く。
自分以外の外界からの刺激は、自分が望む望まないとにかかわらず、
否応なしにやってくる。
・・・そんな時・・・、
心に重なる辛さには、
呑み込む。
我慢する。
辛抱する。
独りでずっと抱え込む。

こんなことしてて、身体に言い訳がない。
だからといって、
心に攻め込まれた辛さは、
何か別のことで気分転換したからって、治(おさ)まるものじゃない。
上手くじょうずに自分の気持ちを外に吐き出す。
・・・それは、
話すということ。
しゃべるということ。
語るということ。

それをちゃんと受け止めて聴いてくれる誰か。
傾聴してくれる人がいる時、
このことをカタルシスと呼ぶ。

カタルシス・・・それは、
浄化・排泄を意味し、
古代ギリシャでは医学的に病的な体液を体外に排出することとし、
東洋医学、鍼灸でも、瀉血として今も実施している。
罪からの魂の浄化としたピタゴラス学派。

そして、心理学の世界では、
抑圧し、無意識の層に留まり続ける精神的外傷によるしこりを
ことば・行為などによって、安全な場で、健全な形で
外部に吐き出させようとする浄化作用だとしている。

いずれも、大事な自分を守るための大切な方法である。





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# by h-c-c | 2018-01-24 21:02 | Comments(0)

はっきりした根拠のない通り魔事件。
殺人事件になってしまうこともある。
強盗に入ったり、他人に暴力をふるったり。
万引きしたり、大声出したり。
突然、あり得ない行動をして周囲の人を不安に陥れる。
そうして、、、
逮捕されると、多くの挙動不審者は決まったように言う。
ストレスがたまって、むしゃくしゃして、、、、、。
それに対して、、、
   「やっぱ、不景気のせいかな?」何て言う人もいるけど。。。

???そうですか??? ほんとうに・・・?

ストレスのない人なんていません。
イライラすることのない人もいません。
人は誰もが、何らかの心配事、悩み事、鬱々とした感情を抱えています。

では、問題行動化に走ってしまう人には、何が欠けているのでしょうか?

私個人の想像の範囲では、「孤立感」「疎外感」は、大きな要因ではないかと。
独りで抱え込み、本心を語れる相手、率直な自分の感情を話せる相手を持たない人。
独りでドンドン内側に籠り、自分の方から周囲に壁を作ってしまうから・・・・・。

内側に溜まりこんだエネルギーは、我慢の許容を超えて、遂に!!!!

だからね、誰かに話して、自分の中のガス抜きを上手に。
溜め込まないでください。
聴いてくれる人を一人でいいから、作りましょう。



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# by h-c-c | 2018-01-18 21:46 | Comments(0)

1995年と云う年

23年前の1月17日は、私の中にあった価値観を一つ大きく変えた日として、
あれからずっと、今日も今も私の生き方を動かし続けている。
あの日の夜明け前、4階の寝室にいた私は大きな揺れで飛び起きた。
毎日を当たり前のように過ごして来た私の中で、その時から何かが確実に動き始めた。

被災地に物資を送り、陸路の困難な中、仲間たちと現地入りした。
現地で触れたその時の感覚は、今でも体中の細胞が記憶している。

その頃私は既にカウンセリングの勉強をしており、
関西のカウンセリングメンバーから心理支援の応援に呼ばれた。
その後に起こる、オウム教による無差別殺人地下鉄サリン事件。

私は、自分の無力さを嫌と言うほど思い知らされ、
「傾聴」ひとつまともに出来ない自分の到らなさを実感した。

絵に描いた餅、机上のテクニックなんて何の役にも立たない。

生きるということ。
死ぬということ。
目の前で、大事なものがもぎ取られていく現実。
壊れて行く、崩れて行く、・・・・・失うこと。

この時、私は自分の行動そのものに命を吹き込まなければ、
何の力にもならない現実を思い知らされ、
この「東中国カウンセリングセンター」を立ち上げた。

本気のカウンセラーを、実力あるカウンセラーを、
クライアントのニーズに対応できるカウンセラーの育成を!!

人は必ずいつか死ぬ。
別れは必ず来る。
形あるものは壊れ、崩れ、姿さえ消す。
形あるものを超える「何か」…、大事なものはここにある。

当カウンセリングセンターは、あの1995年をきっかけに
私の悲願と決意の下に誕生した「カウンセラー育成」を最も主眼とした
施設なのです。
Since 1995 5月 設立。 ・・・あれから23年。
従って、東中国カウンセリングセンター23期に入ります。

カウンセリングを始め、誰かの何かに役立とうと志す心理支援の仕事は、
他者の為に役立ってこそナンボノもんです。
学んだら実践を!
インプットしたらアウトプットを!
社会に還元してこそのスキルですから・・・。





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# by h-c-c | 2018-01-17 17:30 | Comments(0)

成人式だった。
二十歳をもうとっくの昔に通り過ぎた人も、
まだその入口に立ったばかりの人も。。。
「今」を生きていることだけは、ともに等しい。

若いということは、未来に向けて時間がある???ということ。
しかし、
若さの陰には未熟さも含まれるため、そこには同時に不安もある。
経験も少ない。
お金もない。
知人も少ない。

それでも、やりたいことがあるのなら…。
やってみた方が絶対に良いに決まっている。

そしてそれは、いつの時代の何歳の人でも同じではないだろうか。
仮に、家族の為の責任を背負って、
一時期やりたいことを後回しにして、生きて来たとしても、
一通りの役目を終えて迎えた「今」から「これから」に向けて、
まだ、やりたいことがあるのなら…、
本当にやりたいことがあるのなら…、
自分の命を、自分に与えられた時間を、やりたいことの為に使いきる。

老いるということは、時間も体力も減ってくる。
しかし、
経験は豊にあり、若い時に比べれば、お金も人脈も増している。
たとえ、明日世界が終るとしても、、、
いいえ、
いつ世界が終るかも知れないこんな時代だからこそ、、、
自分の命を、この身を使って、自分の出来ることを社会に還元させて、
「生きる」。
その時、自分の命は、積極的に社会に繋がって行く。

本当にやりたいことがあるだけでも幸せなこと。
本当にやりたいことは、やってこそ、ナンボのもん!!

やりたいことがあるのなら、今年こそは思い切って
是非、「行動」に移しましょう 。。。。。



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# by h-c-c | 2018-01-08 22:33 | Comments(0)

お正月の三が日は、特別何事もなく、世界はそこそこ穏やかに過ぎた。
・・・・・、そんな感じがしている。
政治が動いていなかったから???
政治家たちが、お休みしていてくれたから???

どうなんでしょうね???
ホントのところ、どうなんでしょう???



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# by h-c-c | 2018-01-03 22:58 | Comments(0)