タグ:自分 ( 38 ) タグの人気記事

すべては「自分=わたし」から・・・

「人間」は、とてつもない知識を手にしているにもかかわらず、
なぜ、誰もが本質的な部分で変容しないのでしょうか?

私たち人類は、誰もが皆、
何百万年もの時を生き、進化を経験して来ているはずなのに。

いかに歴史に学び、行く先を予測しようとも、
だから、「自分」は、どう生きるのか?・・・

すべての事々は、「自分」から始まるのだとしたら・・・。

ただただ聴きましょう。
注意深く聴きましょう。
ただただ観察しましょう。
静かにゆるやかに観察しましょう。

・・・それだけのことです。


[PR]
by h-c-c | 2017-07-26 21:05 | Comments(0)

生涯の友

あなたは今、あなたの人生の時間軸のどの辺りにいますか?

人は己の人生の中で、幾人の人に出逢い、別れていくのでしょう。
その中で、「生涯の友」と呼べる人を幾人作れるのでしょう。
自分の心を丸裸にしても恐れず、
相手が精神的に正直にぶつかって来たとしてもいとわない。
そんな関係性の友を作ることは、果たして可能なのでしょうか。

精神的に自由であるということ。
精神を開放し、己を赦すということ。
己自身を解放し、正直であるということ。

そんな事が、果たして出来るのでしょうか。
自分のことさえ分からないのに。
自分が本当は何を望み、何を拒んでいるのかさえ、定かになりにくいのに。

それでも、
いいえ、それだからこそ、
人は自分の心を真っ直ぐに開放しても許される生涯の友を求めるのかも知れません。
「友」と呼べる関係ではないかも知れないけれど、
「カウンセラー」は、それに限りなく近づける存在に成り得るかも知れません。

クライアントの心を開放し、渦巻く思考から解放し、
がんじがらめになった抑圧を少しずつ溶かし、
真っ直ぐに、正直に自分の内面を語れるよう、
ただただ傍らに寄り添って、見守り、静かに「今」を感じ尽くすこと。

これこそが、カウンセラーの仕事の入り口であり、
目標であり、目指す道でもあるのではないでしょうか。
カウンセラーに求められる仕事の内容は、多岐にわたりますが、
この側面は大きいのではないかと最近感じています。



[PR]
by h-c-c | 2017-06-01 17:46 | Comments(0)

ゲシュタルトセラピー…知ってますか?

「ゲシュタルト・セラピー」のこと、知っていますか?
体験したこと、ありますか?

自分らしく生きたいのに、、、、。
何だかいつもモヤモヤして、誰かの目・声が気になって、
自分の中で自分の何かが爆発しそうな時がある。。。。。
自分がしぼんでしまいそうで、悲しくなる。。。。。
自分が本当は何をしたいのか、それさえ分からなくなる。。。。。

。。。人は誰もが独りで大ききなって来た訳じゃあありません。
周囲の大人や、自分とは違う多くの人たちとの関係の中で育ってきました。
そうして創り上げて来た今の自分の中には、自分であって自分でない部分を
誰もがそれなりに抱えているのです。

理屈じゃなく、思い込みや、説得ではなく、
ワークを通して、体験的に、自分の中にある正直な自分のことを見つけてみませんか?

6月の第一土・日、6/3~4、ゲシュタルト療法の魔術師(?)百武さんを招いて
当センターで、ゲシュタルト・トレーニングを開催しますよ。

うっかり忘れていた人、このニュースを今、初めて知った人、
時間が取れそうであれば、問い合わせの上、ご参加ください。

待ってま~~~す。




[PR]
by h-c-c | 2017-05-20 22:04 | Comments(0)

予防カウンセリングを身につけましょう

予防カウンセリング・教育カウンセリングの普及定着を目指して、
20年以上活動を続けています。

カウンセリングを受けなくてもいい人生を!
そのためには、少なくとも、
今の自分が、どのようにして作られて来たのか?
自分が、何を獲得し、何を放棄し、自分の何を粗末にしているのか?
自分を縛っているものは、本当に外側に在るものなのか?

他者の評価ではない。
他人の目じゃない。
分かろうはずもない他者の考えていることをあれこれ思い悩んで、
結局自分のことまで分からなくなる。

誰かに気に入られることじゃない。
自分が自分とちゃんと繋がっているか?
自分の本心を大事にしてあげられているか?
・・・、それは、どうすれば出来るようになるのか?
まずは、学びましょう。

2016年度のカウンセラー養成講座、基礎編のⅠ・Ⅱ・Ⅲは、
昨日 2月17日をもって修了しました。
真剣に取り組まれた受講者の方々は、晴れやかに巣立って行かれました。
そして、
今年度、2017年度の養成講座基礎編Ⅰが、
いよいよ明日から開始です。

また、新しい顔ぶれの皆様と、
新たな気づきの旅に出かけることが出来ますことを、
今からとても楽しみにしています。



[PR]
by h-c-c | 2017-02-18 19:55 | Comments(0)

心のケアが商品化される時代にあって考えること

資格取得に挑戦する人が増えている。
資格は実力ではない。
資格取得は、スタートにすぎないと私としては考えている。
「心のケア」「心の専門家」…って、何だ?

「物」から「心」へ。
かつて日本人総中流家庭に成ったとばかりに、
物質的にある程度の満たされ感を味わったこの国に於いて、
声高に云われ始めたのは、たかだか2-30年ほど前のことだ。
登校拒否、不登校、いじめ問題等は、
主に子どもたちを中心として学校から発信された。
学校内でのいじめ問題は、文科省(当時文部省)、教育関係者、警察など、
頭でっかちなお偉い方々が雁首並べてさまざまに試みてはみたものの
事態は深刻化し、現在の日本が抱える問題の一つ、
中高年(30-40歳代)の引きこもりを生み出している。

甚だ無礼を承知の上で申しあげるとするならば、大学院を出たところで、
臨床心理士の資格を手にしたくらいで、
生身の人間の、しかも手ごわいクライアントの相手は、
そうそう易々とは出来っこない。
それが証拠に、大学院終了程度の資格で、スクールカウンセラーになった
自分自身の「自己確立」も未熟な年代では、
モンスターと呼ばれる父母たちの激しいパワーにはとてもではないが
太刀打ちできず、結果として、カウンセラーの方が泣きを上げ、
パニック障害や、鬱的症状を見せるようにさえなった歴然とした事実がある。

芸術家しかり、先生しかり、呼び名じゃない。
肩書きや資格じゃない。
そんなものに頼ったり惑わされたりしているから本質を見失うのだ。
実力を鍛えて鍛えて鍛え抜け。

それぞれの分野の「職人」を目指す。
それぞれの世界には、それぞれに特徴的な鍛え方、育ち方がある。
カウンセラーは、他者以前に、
自己探究によって、
「自分」と「自分の人生」との関係性を理解、把握、受容することが
大事であろうと考えている。

心の専門家と呼ばれる職業(?)的なものが、
短期間でいともた易く取得できる今の時代は、
別の意味で、また新たな問題を生みだす土壌となっているように見える。


[PR]
by h-c-c | 2016-04-03 22:15 | Comments(3)

「今」は、あらゆる過去の上に在る

今日、一月七日は、私の誕生日だった。
大事な人たちから祝福の言葉を頂きながら、
改めて「今」の自分に向き合ってみた。

今、丁度テレビで「甦る歌謡曲」昭和を彩った様々な歌声が流れている。
060.gif060.gif060.gif060.gif060.gif060.gif   059.gif059.gif059.gif   060.gif060.gif060.gif060.gif060.gif

フォーク10曲、まさしく私にとっては青春の真っただ中でした。
心に響きます。
胸が震えて、涙さえ流れます。
いっぱい、いっぱい、数え切れない、抱えきれない、溢れんばかりの思い出が、
曲に重なりながら私の中に押し寄せて来ます。
いいも、悪いも関係なく、それら全てのあらゆる過去の上に、
確かに今の自分があります。

歳が増えて行くということは、そうしたたくさんの記憶、思い出、
体験が増して、私と云う人間を創り上げていくということなのでしょう。

私が生まれたその日は、雪が降っていたそうです。
一月七日は、寒の入り。
暖冬と云われる今年でさえ、・・・やはり今日は寒かったです。

[PR]
by h-c-c | 2016-01-07 21:37 | Comments(0)

教えるのって難しいよね!!

高飛車な言い方!って思わないで読んで欲しいのですが。。。
教えるのって、本当に難しいですよね。
最近、特に感じています。
そもそも「学ぶ」と云うことを知らない人が増えて来ているように感じます。
勉強と云うと、覚えることだと思っている人が多い気がします。
だから、
「先生、覚えられないんです。どうしたらいいですか?」なんて、
平気で聞いて来るのです。
「覚えるんじゃないのよ。」「覚えようとしないでね。」って云うのですが、
その意味が分からないみたいです。
覚える、覚え込む、暗記しなきゃいけない、、、みたいに思い込んでるみたいです。

学ぶことの面白さ、分かることの楽しさを知らない人達が増えてます。
学校教育は、一体何をして来たのでしょうか?
無論、個人的な要素は大きいと言うことも承知してはいますが…。
自分で言うのも何ですが、
結構教え上手だと自負している私でさえ、チョコットばかしお手上げ状態です。
頭の構造が違うのでしょうか?

「心理学」の世界は、覚えるんじゃなくて、分かって行くことに魅力があるはずなのに、
「自分は頭が悪いので覚えきれません。」と云っては、
何でもかんでもすぐに尋ねて来ます。
自分から調べたり、研究したりしようとはしません。

理解がとても浅い感じがします。
手取り足取り、一から十まで噛んで含めて言わなければ伝わりにくいのです。
分かっていないことは、顔を見ればこちらには分かります。
しかし、
本人には、そのことさえ分かっていないので、聞こえて来たことばの上澄みを頭に入れて、
「分かりました。」と、返事をするのですが、
角度を変えて質問すると、もうサッパリです。008.gif 002.gif 008.gif

さすがの私も凹みます!

そういう状態だから、当然、自分で考え出す力も弱いです。
自分自身の見解を述べることに、とても躊躇していることも見て取れます。

なんで???
どうして???
こうした人が増えたのでしょうか???


[PR]
by h-c-c | 2015-11-10 19:15 | Comments(0)

自分の命の使い方

誰にも分かって貰えるなんてことがそもそもあろうはずがない。
皆に好かれようなんて、はなから不可能なこと。
前を向けば後ろは見えない。
所詮、限界の枠組みの中、地上三次元に生かされている我々は、
選択肢が限りなく広がったとしても、何かを選んだ時、
その他の何かは、諦めなければならない。

絵描きは、
何のために二次元の平面に表現する行為をなすのだろう。
ことばに頼らず、言い訳をせず、自己表現の手段に選んだ描写。
同時代の人々に理解されることがないばかりか、
時の権力によってあらぬ判決まで下される人生は、
一見非運にも映ることもあるだろう。
しかし、
その判決の対象となった作品、
それを表現しないではいられなかった作家たちの背景に埋もれた真実のハートは、
時が流れ行く中で、時代を超え、国を超え、民族を超えて、
多くの人々の心に感動、歓喜、感激の魂の震えを与える。
b0122085_1871857.jpg
ガウディは、
頑固一徹で、柔らかな対人関係構築の苦手な人だった。
媚び妥協することをしない彼の生きざまは、
時として何より彼自身を苦しめもしたが、
当時の「今」と、未来の「今」を見抜いた
彼の造形的素晴らしさは、
現在の「今」、
世界中の誰もが憧れをもって評価している。

ピカソは、残虐な戦争で大事な人を失い、その悲しみと、怒り、困惑と叫びを
平面絵画の中にキュビズムとして確立させた。

芸術家に与えられる最高位、宮廷画家としての安定の日々にあったにも拘らず、
ゴヤは、人間性復活、自由を求め、風刺の形を通して、彼のゆるぎない声を挙げている。

人は、それぞれに自分の生き置かれた「役目」を通して、
時空を超えた命の使い方をすることが出来る。

ただただ、今、自分に出来ること。
自分にしか出来ないこと。
自分の為すべきミッションを感じ取ったら、勇気と覚悟で動いてみること。

言い訳は要らない。

我々が、何かを通して心に熱く受け止める時、そこには、
目に見える形を通して、耳に響く音を通して、
その根源に流れる「背景」とも呼べる魂を感じ取るからに他ならないのではないかと考える。

馬屋原 眞美子
[PR]
by h-c-c | 2015-08-17 18:17 | Comments(0)

「“理解”出来る」と言うこと

理解する。理解出来る。とは、一体どういうことなのでしょう。
人が何かについて理解出来る、と云う時のその理解は、
結局のところ、
その人が理解出来る範囲内のものだけなのではないでしょうか。

私たちが、何気に発しているその言葉。
「分かる」「分かるよ」「理解できるよ」・・・。
「それは分からない」「理解できないよ」・・・。

私たちが認識している様々な事ごとは、
その何もかもが現実に存在しているものばかりとは限らない。
直接的には目にも見えず、耳にも聞こえず、触れることさえ叶わない。

そのことを理解しようとする時、
それは、そのものに対する私たち一人ひとり、
各個人の限られた理解力によってのみ為される業なのではないでしょうか。

すべては「わたし」に委ねられ、すべては「わたし」故(ゆえ)なのでしょう。

だからこそ、
私たちは、この「わたし」自身を育てなければならないのだろうと考えます。
[PR]
by h-c-c | 2015-07-17 21:53 | Comments(0)

Paradox:パラドックス

この世は矛盾の内に在り、真理は逆説に埋もれている。
幸福は求める程に遠のき、追い求めたとて手中には得られず。
生きる目的は何か? と、問われる時、、、、、。

この問いに敢えて応えようとするならば、
それは、
自分を成長させて、世に奉仕還元し、
世に奉仕務めることで、自らを成長させて行く。
この循環に尽きるのではないか、、、、、。 と、応えたい。
これが、現時点での未熟な私の考えている事である。

b0122085_20465685.jpg 他者の評価を気にして、自身に過剰な反応を示す人の場合、
 己自身の内側に支柱が立っていないことが多い。
 己の内に自身の軸が立っていないのだ。
 そうした人は、
 常に何かに脅え、動揺しやすく、防衛の砦についつい逃げ込む。

 他者は誰も、あなたのことばかりを見てはいない。

 人はそれ程暇ではない。

 見ているか見ていないか分からない他者の視線を気にするより、

 自分の方から相手を見ることに努めた方が余程ましだ。
[PR]
by h-c-c | 2015-07-15 20:54 | Comments(0)