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教育 = 共育

昨今30歳前後、法的には明らかに一人の独立した成人の
違法行為、迷惑行為、犯罪までには到らない怪しげな奇行等について、
たびたび取り上げられる親の育て方について、、、
また、
組織内での後継者が育っていないの声に隠れる部下の育成不足について、、、
・・・・・
あなたは、如何お考えですか?

私は、常々、教育は決して一方通行のものではなく、その場で同時に起こる
「共育」であろうと考えている者です。

育てる力だけでは、育ちきらないし、
そもそもその人が持ち得ている育つ力が、その人を育てるのだろうと、、、。
無論、環境は大事です。
それでも、環境だけが育てる力にはなりませんし、
どんな逆境からでも、育つ力を発揮するものは育っていきます。

子育てにしても、部下・後継者の育成にしても、
本人の「育つ力」に由るところの方が大きいのではないでしょうか。

昔の職人は、師匠から盗んで覚えよ!と、言われたものです。
勘所を研ぎ澄ませ自身を育てるために身につける学び方です。
噛んで含めて、手取り足取り、懇切丁寧に教えたところで、
本人に学ぶ力(気)が無ければ、それは習得できませんし、
逆にその人に学び取り込む力があれば、貪欲なまでに習得するでしょう。

二十歳を超えた成人の犯罪に対して、親の育て方を云々されるような、
そもそものそうした考え方は、
少子化問題が国の将来を愁う時代にあって、
結婚しない人が多いだけでなく、
出産を踏みとどまらせ、
子育てを躊躇させ、
子供を持たない選択肢の一つに繋がるような社会は、
そうした社会構造自体が未成熟だと考えています。

親になったことのない人、子供を持たない人が増える現代社会に於いて、
偏った見方はますますこの国から子供を失うことになりそうな気がします。

育てる方だけに責任がある訳ではありません。
逆にいえば、
素晴らしい人物が育った背景に、
必ずしも優秀な子育てをした親がいるわけではないと言うことです。
幾らかの影響はあるにせよ、
そこはやはり、何といっても本人自身の育とうとする力、
生き抜いて行こうとする意欲と力が大きく働いたに違いありません。

親だからと言って、上司だからと言って、
過剰な自信も猛省も不要だとの考えに
私としては今のところ到っています。

ーーー昨今よく見聞きする芸能人2世の問題行動を含めて…の私見ですーーー



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by h-c-c | 2017-11-14 11:07 | Comments(0)  

コンセンサスリアリティの罠

ある一つの物事は、多様な側面を持っている。
視点が変わり、立場が変り、時代が、文化が違ってくれば、
その一つの「こと」も見え方が変わる。

集団の中で生きていくうちに、私たちは無意識のうちに暗黙の了解に従っている。

問いかければ多くの人は答える・・・、
「私にはよく分からないですけど・・・、」
「難しい問題ですよね・・・、」などと。。。

無意識に働き続けている自分自身の集団への忠誠心が、
実態から眼をそらさせ、違和感を感じているにもかかわらず、
不確かながらも慣れ親しんだ安穏とした状況下で、自己防衛を続ける。

罠にはまってはならないし、罠にはまり続けることに甘んじてはならない。
コンセンサスリアリティとは、ある種の特異な価値観であり、視野を狭めるものである。

コンセンサスリアリティの存在意義は、
社会生活と言うある一定の枠組みの中で、秩序を保ち、
互いが安心して生活を営む上では、
守られることの望まれる場面が多いことも確かではあるとしても。。。

それでも、
この無意識のコンセンサスに縛られている限り、「真実」からは遠のき、
人間の本来は何たるかに近づくことに、自らが距離を置くことと成りはしないだろうか。


自我を高め、自身の内の声と語り、目覚めない限り、「TAO」に触れることは出来ない。

自分の命を生きるということは、自分に繋がるあらゆる命を慈しみながら
真なる自身の声を信頼して生きることではないかと考えている。
そこには、勇気が求められる。




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by h-c-c | 2017-11-08 15:13 | Comments(0)  

矛盾に由って立つ

ここ連日カウンセリングが途絶えない。
悩んでいるのは誰か?
苦しめているものは何か?
苦しみから逃れたいはずなのに、悩みは付きまとう。
それは、そのはず。
悩みませるものは、自分の内にある無意識にがんじがらめにした価値観。
…ねばならない。 …のはずなのに。 …べきだ!。

過剰な自立意欲は、自己否定感を強め、自らを孤立させる。
優柔不断としなやかさは、似て否なるものである。
肩書は実相ではなく、錯覚を招き、自らを盲目に貶める。
プライドは劣等感の鎧であり、しなやかさを失わせ、無用な硬さを生む。

外側ではなく、内側に、満たして行こう。
嫌な部分も、足りない部分も、そのままそっと内側に抱きかかえよう。

私たちは、他人と競い合うために生れて来たのではない。
誰かに認められることを目標に生きているわけではない。

静かに優しく自分の内側に抱えるものを愛してあげよう。
昨日とは違う今日の自分。
10年前とは違う今の自分。
その自分は、明日はまた、違っているはず。
変わることのない永遠の命の根源を抱えながら、私たちは日々何かが変っている。

資格や肩書がその人を幸せにしてくれるわけではない。
外側にアクセサリーのように飾りつけたとしても、それは、いつか脱ぐ時が来る。
見栄や虚栄の為に、威嚇にも似た権力を、たとえひと時身にまとったとしても、
やがていつの日かそれらを置き去らなければならない日も来る。
全てを脱ぎ捨てて、なお残るものこそが、
紛れもなく自分自身の内なる力であるとするならば、
内にこそ豊潤な豊かさを。。。

それは、自分自身だけでなくその周囲の人をも優しく包み込むから。。。





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by h-c-c | 2017-10-20 18:31 | Comments(0)  

自分の命を生き抜く

6月21日に手術して以来、全身麻酔の影響かどうかは分からないままに
認知症が更に悪化した母との付き合いは、あれからずっと続いている。
そして、今現在、母は在宅として我が家に戻って暮らしている。
全てに手がかかる。
食べることも、排泄も、入浴も、ベッドの寝返りも、
もちろん起き上がることなんてできないし、
家の中で車椅子生活をしている状態だ。

ただ、家に居ると、家族のことは分かるし、若干の記憶が甦るらしく
少しだけ懐かしい話が出来る。
好きだった歌も一緒に歌える。
そんな母の姿を見ると涙が出てくる。「嬉しい!」

猛暑、長時間豪雨、突風、恥を忘れた見苦しい大人たちの行為。
国家とは何ために存在しているのか?を、
北朝鮮、アメリカ、日本、韓国、中国、ロシア・・・
それら国家間に交錯する一部の指導者たちの思惑から考える。
今ここに確かに生きている一人ひとりの人間の
その、まさに一人として…考えてみる。

カウンセリングへの来談者は増す一方だが、
10年前の頃のクライアントとは明らかに質が変わってきている。
カウンセリングへの取り組みが真摯で、本気なのだ。
その分、気づき・変容は顕著に現れる。

「人間」は、誰もが一人ひとり自分の「命」を、
自分として生き切ろうとしているのだ。
それだけのことなのだが、そのことの為に、悩み、苦しみ、葛藤する。
時代が如何に変ろうと、国家が他国と争おうと、そこに暮らし生きている
一人ひとりには、それ以上に身近な自分自身の問題がある。

生きましょう。とにかく、生きましょう !!
恐らく世の中はと言うか人間社会は、小池さんの掲げる「希望の党」のように
輝かしい社会に向かっているなんて楽観的な考え方は、
とてもではないが持てない。。。けれど・・・。

それでも、諦めないで、生きましょう!!
とにかく生き抜きましょう!

「もういいよ、よく頑張ったね。」と、自分の命が尽きるその時まで、
「生」の終わりに必ず訪れる「死」のその時まで、
せめて自分の命にだけは責任を持って、
命を生き抜きましょう!!

脱原発!! 今の日本に於いて、命の為にはこれ以外は無いと考えている。

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by h-c-c | 2017-09-25 18:11 | Comments(0)  

無限の住人

暦の上の大型連休が、やっと過ぎ去った。
私には、連休も何もなく、ずっと働いていた。
連休中に、講座、ワークショップ、カウンセリング、出張の評価鑑定。
連日何らかの仕事に絡み、家族のために食事を作り、
飛んでくる黄砂の合間をぬって洗濯物を干したり、母を見舞ったりした。

そんな中でも、映画を見に行った。
木村拓哉君主演の『無限の住人』だ。
んんんん…、正直言って、感想は・・・。

私がここ近年観た映画の中では、122.png 122.png 122.png 大変 ガッカリ!なものでした。
それは、木村君の問題でもなく、他の出演者の人たちのせいでもなく、
ただただ、監督とその編集の問題だと感じたのだが。。。。。

とにかく無用に、やたらと長い。長すぎる。
2時間半もの間、斬って斬って斬りまくる ぶった斬りシーンの連続。
それも、相当やばく エグイ 残虐的映像。

編集で、思い切ってカットしてまとめれば良かったかも知れない。
三池監督が、木村君を好き過ぎて、木村君の熱のこもった太刀のシーンの
何処の場面もカットし辛かったのかも知れないが、
それならそれで、もう少し内容を膨らませるというか、
もうひとヒネリ深めて欲しかったと思う。
エンドロールに流れる音楽がとても良かった。

それでも、お時間と懐に少しの余裕がお有りであれば、
是非、会場に足をお運びいただければ…、と思います。
(息子たちに言わせると、「かあさんの、木村への目線は家族か親戚のおばさん的だね。)
・・・とのことですが。。。

そして、
ある時、あることから、不老不死の身体となる万次、、、、、
死ねないことの辛さ、
生き続けなければならない過酷さ、
その命、誰のために使うーーーと、問うのだが、
。。。。。。。
主人公万次の言葉を借りて言えば、
「死ねるおめぇらは、幸せもンよ。」
。。。
「不死身って、死ぬほどめんどくせぇ!」

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by h-c-c | 2017-05-08 11:12 | Comments(0)  

今、ここに居て現実を直視する

「今、ここ」に居ない。
「現実を直視」していない。
何を見、何を聴き、何を感じているのか。
何を考えているのか。
・・・?・・・
・・・わからない・・・。

「現実を直視していない」と云われる場合、多くは、自分が見たくないものを避けている。
人は、誰もが自己流の見方をしている。
当然ながら、聞き方においても同様で、
今、ここで起きていることを、そのまま直視、直聴はできない。

現実と向き合う、ということは、そもそもが至難の技かもしれない。

フッサールの提示した「現実」の知覚。
デカルトの云う「感覚」に疑を問いかけたその「現実」とは・・・。

心理学をベースに展開するカウンセリングの根底には、
素地となるべき哲学が生き続けている。


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by h-c-c | 2017-02-10 23:34 | Comments(0)  

この世界の片隅に…

静かな、それでいて ひたひたと心に迫る映画でした。
そして、そこに描かれていたのは、紛れもなくこの国にあった事実です。
広島と呉を中心に描かれていますが、多くの人の生活は、
おおよそ それほどの違いなく、誰もが営んでいた日常です。

私の母は、海辺の町に生まれ幼少期をそこで暮らします。
実家は、時計屋さんでした。
豊に暮らしていたそうです。
父親を亡くし、戦争で思いもよらぬ人生を余儀なくされ、母親は右腕を失います。
まさに、この映画「この世界の片隅に」と重なる場面が多かったです。
それだけに、身につまされる感情が動きました。

高齢化が、社会問題のように扱われていますが、それはどうなんでしょう???
今、80歳を超える多くの人たちにもあった青春時代は、
戦争と云う特別な時間の中に翻弄されました。

昨日も母と色んなお喋りをしながら、大声で笑うことも出来ました。
生きていると云うこと。
今、共に居ると云うこと。
その事が、こんなにも不思議で、幸せだなんて・・・嬉しかったです。



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by h-c-c | 2017-02-07 19:17 | Comments(0)  

今、また再びのスタート

春休み。
卒業、退職、退任、、、、、。 
入学、入社、進学、進級、、、、。

あらかじめ決められた枠組みの中での流れに添ったけじめではなく、
成人し、熟年となり、自らの意思決定で選択肢の広がる時期に、
「今、また再びのスタート」に際して、あなたは何を選びますか?
自分の声は、心の底からの願いは、・・・「何」なんでしょう?
限られた時間、限られた今生の命。
自身が、生き置かれた定めの環境には、当然ながら抗えないものもあります。
しかし、境遇そのもの以上に自分自身を縛っているものはありませんか?
自分自身の思い込み、偏った思考、柔軟性を欠いた自己概念。
針ほどの一点でもいい、そこに小さな穴が開いたとしたら、
いえ、小さな小さな一点の風穴を開けることを自らが起こせば、
光は必ず漏れ入って来ます。
その光を拠り所に、私たちは、今こそペルソナを外して、
本来の自分自身が求めて止まない声の導きのもとに、
自分の人生を生き切って行くことが出来るのではないかと考えています。
あなたは、何が好きですか?
あなたは、どんな生き方をしたいですか?
あなたは、誰と生きたいですか?
あなたの魂は、今、喜んでいますか?

選択肢は限りなく広がっています。



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by h-c-c | 2016-03-06 09:49 | Comments(0)  

やっと、やっとの更新!です

・・・・・「生きる」ことは「学ぶ」こと・・・・・
・・・「 学ぶこと」は ・・・「気づくこと」 ・・・

上記は、今年の年賀状のご挨拶に、使わせて頂いた私なりの考えですが、
そのために、
21年目を迎えたHCC当センターでは、従来通りの講座だけでなく、
今年度、更に新たな試みのもと、さまざまにユニークな講座をご用意いたしました。

そのお知らせの核ともなるHP。
トップページに若干のイメージチェンジを加えて、やっと更新071.gifできました。
是非とも隅々までご覧いただいて、楽しく学べる人気の講座にご参加くださいますよう
重ねてご紹介、ご案内申しあげます。

・・・それにしても、今年は幕開け早々ザワザワし過ぎですね。
政治、経済、科学技術、、、、芸能、スポーツ、マスコミ界。
私自身の極々身辺周辺は、お陰さまで特別異変はありませんが、
国内外、とりわけ金融界における行き詰まり感は、近い将来我が身に降りかかる
大きな問題として、生活そのものに影響を及ぼすことでしょう。

徳分が低い、と云うことは、その根底になる教育、「知」の力が弱いからに他なりません。
様々な分野の頭に座る人たちに、この徳分が低いとすれば、
これは、人類の将来を展望するに当たって、何より大きな不安材料であろうと感じています。

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by h-c-c | 2016-02-15 09:24 | Comments(0)  

表裏一体の世界観

<・・・昨日からのつづき・・・>

そうは言っても、全ては表裏一体のうちに存在する。
教える者と教わる者とて、その関係性に変わりはない。
教える側は、教わる者の姿の中に自分を観る。
それは同時にそこに在り、この瞬間の関係の中で気づくことは山ほど有る。

たまたまその時、教える立場にあるとしても、
やはり私自身が、果てしない学びの途中に座する者でることも事実だ。
私は、基本的に学ぶことが好きである。
それがたとえ遅々たる歩みであろうとも、昨日まで分からなかったことが、
今日、分かるようになったと感じられる瞬間。
「アハ!」と腑に落ちるあの感覚。
自らに気づきをもたらす時に味わえる恍惚の一瞬。
学びが頭ではなく、血肉と成って身体に宿る、あの感覚だ。
生きるための力となる学びだ。

それは、教科書じゃない。
暗記じゃない。
左から右へ、レポートを書き写すことじゃない。

丸腰で生きる私たちの人生の旅路の中で、
いつ何処から、人生の難題に切り込まれてきたとしても、
身を処し、自分としての在りようを誤魔化すことなく生き抜いて行くための術となる。

私たちは、今、様々なカウンセリングの諸理論や心理学を、
その為にこそ学び合っているのだ。
ただ単に頭でっかちに、暗記の知識のためにむさぼっている訳では
決して、決して、断じて、ない。

ましてや、資格や肩書のために学んでいるのではない。
その事を理解してもらえたら、
この学びほど人生に於いて魅力的なものは無いだろうと、
私は考えるのだが、如何だろうか。。。。。


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by h-c-c | 2015-11-11 16:27 | Comments(0)