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クリシュナムルティのことば

私の慕うJiddu Krishnamurti は言います。

真実ではないものを否定することによって肯定的なものが現れます。
愛は欲望でもなく、快楽でも、記憶でもありません。
それは死と同じくらい力強く、生と同じくらい活力に溢れています。
そしてまた、愛は、苦しみのない時にのみ存在します。
苦しみは個人的なものであり、またグローバルなものでもあります。
人は、果てしなく苦しんできました。
人は、人が愛と呼んでいるものと苦しみを結びつけようと試みるのです。
それゆえ常にこの矛盾、この二元性があるのです。
これに対して、
もしあなたが愛でないすべてのものを否定するなら、
その時にこそ、計り知れない美、大きな力、そして、
それ自体の活力を備えた何か他のものがそこに残るのです。

・・・・・と、、、、、。

私たち人類は、誰もが皆、何百万年もの「進化」「成長」を経て来た
大人であるはずなのですから・・・。

北朝鮮問題、アメリカ、中国、、、そして日本は、、、、、???


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by h-c-c | 2017-04-14 19:49 | Comments(0)  

手紙

私は、近頃、あえて手書きで「手紙」を送ることに努め始めました。
メールは速いです。
SNSでの応答は、何だか大急ぎです。
スピード、便利性、お手軽さ、、、、。
・・・・・それでも、そこにはどうしても見つけられないものがあります。

今日は敬老の日。

私は、
今は亡き父や、今ではペンも筆も持たなくなった母の代わりに、
彼らがかつて交流していた方々、
お世話になった方々に、筆かペンで手紙を書くように
心がけています。

何日か後に、丁寧なお返事をいただきます。
恐縮します。

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 その昔、とても達筆だったあの方も、今の文字は、その頃とは違っています。
 けれど、そこには、
 確かにそれぞれの時間を生きて来られたその方の息遣いが
 文字を通して伝わってきます。
 そこには、心が、想いが、懐かしさが、温もりが溢れています。
 涙が流れ、そのお手紙をじっと抱きしめます。

 母も、昔は習字が上手で、特にかな文字は絵のようでした。
 それでも、今は、鉛筆でも上手く文字が書けません。
 筆圧は弱く、何より文字を忘れています。

人の人生って、何なんでしょう?????

表面上の文字や、言葉を超えて、その人の今を伝えてくれる
「手紙」を、これからも、少しずつ書いて行こうと考えています。

時代に逆行しているのかも知れませんが、
時代に流されてしまうのは・・・厭!です。
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by h-c-c | 2016-09-19 14:43 | Comments(0)  

「愛」の想いが全てです

ボランティア元年と云われた阪神淡路大震災の記憶は、
私の身体の全細胞が今も鮮やかに、しっかりと受け止めている。

1995年1月17日の夜明け前、
私は4階の寝室が、大きく揺れる中で飛び起きた。
陽が昇ると共に明らかになる神戸の惨事に、居ても立ってもおれず、
仲間たちと物資をかき集め、現地に向かったあの時の込み上げる感情。
毛布、ストーブ、紙おむつ、生理用ナプキン、トイレットペーパー、水、食糧などなど。。。
寸断された裏道からの陸路は、現地へ到着までに疲労感を強めた。
寒かった。
怖かった。
それ以上に苦しくて辛くてなぜだか腹立たしかった。
現場に入らなければ分からない体感できない温度、匂い、声、音、風。。。
そして、私はそこで悟った。
人には、出来ることと出来ないことがあるのだと。
人によって、向いている事と向いていないことがあるのだと。
私は、そこで殆ど何もできなかった。
目の前に広がる惨事の生々しさにただ身が竦み、何の役にも立てなかった。

当時はまだ、民間の一般ボランティアの活動体制は入門編のようで、
ぎこちなかったし、段取りも分かりにくかったし、当然ながら指揮する人も無くて
思いあまって駆け付けた人たちの多くが混乱に戸惑っていたことを思い出す。

その後私は、時間を置いて半年後から、
関西の地で、メンタルケアのお手伝いに入らせてもらった。
関西のカウンセリングの対応能力は、
当時の私の地域のそれと比べると、遥かに実力が高かった。
その体験を機に、同年(1995年)5月、私はここ福山に当時の産業カウンセラー中国支部長からの
後押しと、ご協力のもとに、「東中国カウンセリングセンター」の命名まで頂いて当センターを開設した。
それは、まさしく、ここ福山に、「実力あるカウンセラー」を育成しよう!
皆で一緒に育って行こう!とする共生・共育の理念に基づいてのものだった。
私一人の力には限界がある。
しかし、たくさんの有能なカウンセラーの仲間を増やせば、
多くの人の助けになれるに違いない。
それを願い、それを志して21年間「実力あるカウンセラー育成講座」に
力を注いできたのだ。

有って欲しくない、無い方が良いに決まっているが、
その後、この国には毎年のように突然襲う災害が後を絶たない。
今世紀最大か!?とも言われた東日本大震災の折には、
翌年、翌々年と、支援者の方々の支援として、3つの県を廻らせて頂いた。

そして、この度のかつてない連鎖連鎖で強い余震の続く今までにない事例の地震。
専門家たちが寄ってたかって「先が見えない」と云い合う熊本大地震。
このまま、東に西に活断層の影響連鎖は続くのか?
それとも、消息してくれるのか?

「愛」故に込み上げる苛立ち、腹立たしさ。
「愛」故に動かないではいられない行動力。

初心に戻って、私のカウンセリングの学びの原点について鑑みる時、
「こころの職人」として、現場に入って行くカウンセラーを目指す気持ちに変わりない。

今年の始めに、私が決意した「ひとりでもやり抜く!」とした想いは、
何らかの虫の知らせだったのかもしれない。



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by h-c-c | 2016-04-21 18:28 | Comments(0)  

感情こそが行動エネルギー

いつの時にも、その行動の根源には感情によるエネルギーが潜んでいる。
それは、思考や言葉によって、いかに正当化しようとも、事実そこに在る。
誰の中にも「怒り」「憎しみ」「妬み」の感情は確かに在る。
しかし、恨みや憎しみは、更に新たな憎しみを生むだけで、
そこには、永久に安らぎは生れない。

個人レベルでも集団、国家レベルでも、それは同じこと。
憎しみや怒りは人を引き裂き、引き離す。
韓国が、いつまでも後ろ向きの歴史観に立ち続ける以上、
如何に時間が前に流れようとも、彼らの前には未来的思考は通用しない。

歴史を遡れば、ヨーロッパに影を落とす十字軍の因縁。
そこに引きずられた時間軸を生きようとする者たちがいる限り、
EU統一は困難を極める。
世界は、今、確実に、次の世界観に向けて
動かなければならない時に来ていると考えないではいられない。

私の家族は、多くの方々とは少し違っているかもしれない。
我が家には、フランスから結婚のために日本で暮らすことを
覚悟して来てくれた聡明で美しいジュリと云う嫁が居る。
既に8年になる。今年春、ジュリの家族は一ヶ月間日本に居た。
息子の友人にも外国の人が多いが、
何と言っても、ジュリの居るお陰で、
我が家には、諸海外から、頻繁に色んな人が訪ねて来る。
黒人も、白人も、東洋人も誰でも来る。
宗教観もそれぞれなら、ベジタリアンの人も結構いたりして、
食事の準備には正直苦労することもある。
しかし、優秀な人たちが多くて、
外務省で働く者もあれば、国連関連、NATOに席を置く人もいる。
私は、今、
世界は本当に小さくなっていると感じている。
にも拘らず、国レベルしかも政治的な影響が加わる時、
お互いは、なかなか分かり合えず、分かり合おうとせず、
一方的な価値観で攻めよってしまっている
それぞれの関係の姿を見せつけられて、とても哀しく感じてしまう。

幸か不幸か、北朝鮮には資源もお宝も、お金に成りそうなうま味が無い。
だから、どの国も欲しがらないし、見向きもしない。
独裁社会で貧困で餓死している人たちの状況は苦悩極まりないが、
少なくとも他国が競ってその地に侵略したり、欲しがったりはしない。
他国が空爆をしたり、北朝鮮の人を殺しには行かない。

資源を欲しがって群がる。群がるだけでなく、略奪しようとする。
こんな愚かで下品で醜い争いがいつまで続くのだろう。

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by h-c-c | 2015-11-16 20:34 | Comments(0)  

自衛隊員…名もなき人たちの偉大な力

日本中のあちこちが、傷だらけになって行くような気がする。
それでも、何があっても、生き続けなければならない。
最初から最後まで、私たちは自分自身の「命」を運ぶことが、
私に任された大事な作業である以上…。
あらゆるものを手放しても、自分自身との一体の中で「命」は、
私のものであって、私のものではない。

救助を続ける自衛隊員の姿は、その『命』を、
しかも、それは、他者のものであるにも係わらず…。

今この瞬間にも、地球規模のさまざまな地域で、場面で、
人間は、自らの命を守るために生きている。
欧州大陸は、大移動する難民の受け入れに、
必ずしも自国民のすべての賛同を得られている訳ではない中で、
国境を超え、民族の枠を超え、思想、宗教観の違いを超えて、
人間の「命」を守り、受け入れ、共に生きる道を求めて、混乱を続けている。

そして、そこに見るのは、いつの時にも、
一人ひとりの「愛」の力に他ならない。

肩書きや権力が、人を救うのではない。
名もなき人々の、一人ひとりの愛と、それを行動化させるための
ほんの少しの勇気ある具現化だけだ。

国家は指示はするかもしれないが、彼らは決して自らが手を汚したり、
汗を流したり、膝を擦り剥いたりはしないのだ。

人間の、人類の歴史は、いつの時にも、名もなき人たちの「愛」の力と
「思いやり」に裏付けられたささやかな、それでいて偉大な営みの繰り返しの中で
続いて来たのだろうと、つくづく、しみじみ、感じている。

TVに映し出される自衛隊員の姿は、なぜにこうも感動を誘うのだろう。

名もなき人たちの偉大な行為に、心が揺さぶられる。
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by h-c-c | 2015-09-11 09:05 | Comments(0)  

日本トランスパーソナル学会大会終わる

二年に一度、二日間に渡っての
日本トランスパーソナル学会の大会が、
終了しました。

そして、私は、つい今しがた、
東京から戻って来たところです。

本当に、素晴らしい内容の二日間でした。

濃密な時間に感謝します。
詳しくは、後日、追ってお知らせしましょう。
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by h-c-c | 2014-09-15 01:04 | Comments(0)  

人は誰もが尊く、そして限りある時の中に在る

限りある自分の命を「何」のために使いますか?
限りある自分の時間を「何」のために費やしますか?
恨み心から生み出されるモノは、何なんでしょう?
憎しみから生み出されるモノは、何なんでしょう?
嫉妬、逆恨み、妬み、そしり、誹謗、中傷・・・。
そんなものに、あなたの大事な時間を使わないでください。
そんなところに、あなたの尊い命を消費させないでください。
あなたには、あなたにしか出来ないことがきっと有ります。
あなたがしなけれなならない事、
あなたが成すべき事、
いいえ、あなただからこそ出来る事が、必ず有るのです。
人は、命を与えらえ、生かされていると云うこの事実の中に、
その事は、既に証明されています。
あなたが、まだ見つけていないだけです。
あなたが、その事に出逢っていない、気付いていないだけです。
お願いだから、
自分の命を醜くしないでください。
他者を意図的に貶めようとする心ほど、
悲しくて寂しいみじめな生き方は有りません。
どう生きたか?ではなく、どのように生きたのかこそが、
自らの魂に刻見込まれ、
仮に真実、転生輪廻があるとするならば、自身の内に培ったそのものをこそ
私たちは、自身の次なる「生」に映し出すのではないかと考えています。
見えなければいい。 暴露されなければいい。 
隠れてコソこそやってれば・・・、では、ないのです。
全ては、見えてしまうのです。
いいえ何より辛いことは、その卑しい行為は、そのいずれもが、
他でもない自分自身に戻り来て、
来世の生まれ落ちを定めて行くのですから・・・。

限りある「命」「時間」を「何」のために「どのように」使うのか?こそが、
かけがえのないその人自身としての存在の証しに他ならないのではないかと、
私としては、考えています。

あなたの、その行為は、一体誰の幸せに繋がっていくのでしょうか???
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by h-c-c | 2013-11-11 12:16 | Comments(0)  

私の夢を歌に託して

今日も暮れて往く。

センターでは、FGG:ゲシュタルトのCFOトレーニングもあった。
夕食をメンバーや仲間の人たちと楽しく終えた後、
古い友人から手紙が届いていたことを知った。

「手紙」・・・、最近では、チョイと珍しい。
それは、パソコン文字でもなく、ボールペン文字でもなかった。

青いインクのペンで便箋3枚にしたためられたその手紙は、
行間から多くのことを私に伝えた。

人は、皆老いて行くのだ。・・・・・。

私は、最近東中国カウンセリングセンターに、「社歌」を設定した。
それは、
私の夢と、この仕事に懸ける祈りにも似た情熱と憧れが込められている。

私がこれまで生きて来た一筋の道に、この歌はしっくりと馴染む。

センターに集う一人ひとりが、織りなす糸となって、
今は未だ見ぬ誰かのために、
これから出逢う多くのクライアントのために、
自らの愛を紡いで欲しいと願って止まない。
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by h-c-c | 2013-11-02 23:57 | Comments(0)  

大好き(?)なのは、いいけれど・・・

「好きこそものの上手なれ」と言うことわざもあるように、
何か事を成すにあたって、「好き」ってことは大事な要素の一つではある。
確かに、確かに、そうである。
・・・、
だからって・・・、
好きだから、大好きだから、って、
・・・じゃあって・・・そればっかりでも・・・どうなの?
それしか知らないって、それって、どうよ?・・・って、感じもする。

???
分かんないよねぇ~~~・・・。何が言いたいのか。。。。。
フフフ・・・ふふふ・・・。
いいよ、分かんなくて。

時はひと時たりとも留まらず、
季節は巡り、秋を誘い、目に映る夜空の月も満ちては欠ける。
眩しく多い茂った夏の木々は、紅葉に色付き、
そして、やがては枝を離れる。
地に舞い落ち、傷ついた枯れ葉たちは、
さらに踏まれ朽ち果てて、その木の足元に在り続ける。
そして、それは時を経て、立ち続ける樹木に与える堆肥となる。
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そこには、
果てしない循環があり、
うつろい行く儚さに重なるように、
巡るめく「愛」がある。

何をやってもいいし、やらなくてもいい。
好きなことを好きなだけ、やりたいようにやればいい。

ただ、それは、そこに、与える『愛』が在れば!の話である。

馬屋原 眞美子
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by h-c-c | 2013-10-05 11:49 | Comments(0)  

自分を売り込むということの意味 その6

出力、アウトプット。
入力、インプット。
自分を売り込む行為は、さしずめアウトプット?

私の事を分かって欲しい。
私を理解して欲しい。
そう言いながら、外に、外に求めます。

そして、ある時フト、、、、、
「私は何にも持ってない。」
「私は空っぽだ・・・。」って、言い始めます。
「外に向かって売り込むものなんか何も持っていない。」と。
その想いは募っていき、自分の中に広がる虚無感に
「淋しい。」「心細い。」「不安だ。」「結局、私は独りぽっちだ。」と、
いたたまれない淋しさに、押しつぶされそうになっていきます。

それは、気づかないうちに、何かの罠にハマる兆候です。
内側の不安や淋しさを、外側に求める行為は、
ある意味必然的のようにも考えられがちですが、
この時『依存』が始まるのです。

内側の虚しさを埋めていけるモノは、内側に蓄えていける
見えないけれど確かに在る「力」です。
それは、経験であり、知恵であり、何より限りなく溢れ来る
自らの内に湧き出る『愛の力』です。

外に求める必要などないのです。
誰もの内側に初めっから備わっている『愛』を、
多くの人は、余りにも知らない。気づいていない。
だから、外に求めては、
裏切られ、傷つき、嘆き、怒り、、、、、
それでも尚、外側に求めるのです。

自分の内側を満たして行きましょう。
そうすれば、必ずやいつの日にか、
敢えて自分を売り込まなくても、
その存在を通して、その人と成りのたたずまいから、
自然に薫るその人独自の価値がそこに生まれてくるはずですから。

楽しく、愉快に、継続的に学びを続けていきましょう。
しなやかに生きるために。
柔らかく、たおやかに、この人生を旅するために・・・。
自らの内側に向けて、本当に大事なものをインプットさせましょう。
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by h-c-c | 2013-09-13 12:03 | Comments(0)