HCC コミュニティ ひろば

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朗読会

楽しかったなぁ~。
ホントに、楽しかった。
今日、朗読の発表会を終えました。
昨年来、ずっと準備して来た読み込みです。

先生から、「もう、セミプロって、云ってもいいくらい!良かったよ!」
って、評価をいただきました。037.gif037.gif037.gif

それより、何より、来場くださった200名以上の方々の、
聴いてくださる会場の空気感がとても良かった。
「朗読」って、聴いたことありますか?

是非一度、ご体験を!
引き込まれますから。。。



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by h-c-c | 2017-02-25 20:41 | Comments(0)

学ぶことの意義

お疲れさまでした。
既に座学スタイルで学ぶことから何十年も遠ざかっていた方々にとって、
一日中の集中講座は、きっとお疲れだったことでしょう。
・・・・・
始まりました。
今年度のカウンセラー養成講座、入門基礎編の第Ⅰコース。
さすがに11時から17時までの講義講座は、
中途に休憩があったとしても、…まぁ…疲れました。
私も歳なのでしょうか???
これまでも、ずっとやってきたことなのに・・・。

確かに今は季節柄、
喉の調子も良くないし、一人でぶっ通しの講義は、
体力的に疲労感が残ります。

それでも、受講者の方々の熱心な姿に引っ張られるようにして、
今日一日が終わりました。

幾つになっても、どんな時でも、新しいことを学ぶのは新鮮で、
楽しいものです。
柔らかな心は、学びの力を強めます。
理論・考え方、柔軟に吸収しつつも、自分軸に還元させながら、
鵜呑みにはしない。
一見、逆ベクトルのように思えるこのスタンスを外さないこと。

学びを継続的に重ねる姿勢には、謙虚で柔軟な姿勢と同時に、
「…そうかもしれない…そうなんだろう…、しかし、私はこう考える。」と云う
迷いながらも自分軸に戻して再検討しながら、
自分の中に落とし込んでいく姿勢が無ければ、
学問も、理論も、体験も、決して自分自身のものにはならない。

・・・私は、そう考えています。

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by h-c-c | 2017-02-19 21:49 | Comments(0)
予防カウンセリング・教育カウンセリングの普及定着を目指して、
20年以上活動を続けています。

カウンセリングを受けなくてもいい人生を!
そのためには、少なくとも、
今の自分が、どのようにして作られて来たのか?
自分が、何を獲得し、何を放棄し、自分の何を粗末にしているのか?
自分を縛っているものは、本当に外側に在るものなのか?

他者の評価ではない。
他人の目じゃない。
分かろうはずもない他者の考えていることをあれこれ思い悩んで、
結局自分のことまで分からなくなる。

誰かに気に入られることじゃない。
自分が自分とちゃんと繋がっているか?
自分の本心を大事にしてあげられているか?
・・・、それは、どうすれば出来るようになるのか?
まずは、学びましょう。

2016年度のカウンセラー養成講座、基礎編のⅠ・Ⅱ・Ⅲは、
昨日 2月17日をもって修了しました。
真剣に取り組まれた受講者の方々は、晴れやかに巣立って行かれました。
そして、
今年度、2017年度の養成講座基礎編Ⅰが、
いよいよ明日から開始です。

また、新しい顔ぶれの皆様と、
新たな気づきの旅に出かけることが出来ますことを、
今からとても楽しみにしています。



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by h-c-c | 2017-02-18 19:55 | Comments(0)

『信じる』の色々

信じる」って、意外と難しい。
「信じ切る」となると、さらに難しい。
「信頼」してるからね…って云う。。。ホントに?

信じきれないことは、疑いを抱くことは、いけないことなのか?

それよりも、
どうして信じきれない現象が起きるのだろう?
信じたいのに、信じきれない。
これは、すべて、私の内側に起きていること。
自分自身の問題。

少し視点を変えて考えてみる・・・。
「信仰」。。。
これは、どうだろう???

「信仰」を強要し、売り物にする宗教って…どうなんだろう?

さらに言うならば、「信仰」と「洗脳」。。。

その境界はいつ、どの瞬間、どのような時に生じるのだろう。。。

何を選んでもいい。
どのように生きようと、その人の自己責任においてそれも有りかもしれない。

「自分の人生の主人公は自分自身」なのだから。。。

禅語録に私の好きな言葉がある。
主人公、騙さるな!
自分を明け渡してしまわぬように。。。


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by h-c-c | 2017-02-17 19:36 | Comments(0)
「今、ここ」に居ない。
「現実を直視」していない。
何を見、何を聴き、何を感じているのか。
何を考えているのか。
・・・?・・・
・・・わからない・・・。

「現実を直視していない」と云われる場合、多くは、自分が見たくないものを避けている。
人は、誰もが自己流の見方をしている。
当然ながら、聞き方においても同様で、
今、ここで起きていることを、そのまま直視、直聴はできない。

現実と向き合う、ということは、そもそもが至難の技かもしれない。

フッサールの提示した「現実」の知覚。
デカルトの云う「感覚」に疑を問いかけたその「現実」とは・・・。

心理学をベースに展開するカウンセリングの根底には、
素地となるべき哲学が生き続けている。


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by h-c-c | 2017-02-10 23:34 | Comments(0)
058.gif 4月から新年度の新規講座がスタートします 058.gif

初心者の方から資格取得者、専門職の方々まで、
激動の時代の中で、年年歳歳進化するカウンセリング学を、
心理学の諸理論に基づき、効果的なアプローチの習得を目指します。

年間スケジュール・最新ニュース欄、それぞれのサイトから、
日程等を考慮の上、是非、ご参加ください。
楽しみながら充実した時間の中で、
深い学びを体験していただきたいと願って企画しました。

只今、申込み、募集中です。
お気軽にお問い合わせください。


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by h-c-c | 2017-02-09 22:12 | Comments(0)

この世界の片隅に…

静かな、それでいて ひたひたと心に迫る映画でした。
そして、そこに描かれていたのは、紛れもなくこの国にあった事実です。
広島と呉を中心に描かれていますが、多くの人の生活は、
おおよそ それほどの違いなく、誰もが営んでいた日常です。

私の母は、海辺の町に生まれ幼少期をそこで暮らします。
実家は、時計屋さんでした。
豊に暮らしていたそうです。
父親を亡くし、戦争で思いもよらぬ人生を余儀なくされ、母親は右腕を失います。
まさに、この映画「この世界の片隅に」と重なる場面が多かったです。
それだけに、身につまされる感情が動きました。

高齢化が、社会問題のように扱われていますが、それはどうなんでしょう???
今、80歳を超える多くの人たちにもあった青春時代は、
戦争と云う特別な時間の中に翻弄されました。

昨日も母と色んなお喋りをしながら、大声で笑うことも出来ました。
生きていると云うこと。
今、共に居ると云うこと。
その事が、こんなにも不思議で、幸せだなんて・・・嬉しかったです。



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by h-c-c | 2017-02-07 19:17 | Comments(0)

立春の声を聴きながら

かれこれ5か月ぶりでしょうか?
コミュニティへの書き込み・・・チョコット再開しようかなぁ~なんて。。。

新しい年も明けたので、一昨年前になりますが、
色んなことが重なって、2015年の一年間は、殆ど病院に通い詰めていました。
私自身の年齢や、人生の周期も重なったのかもしれませんが、
少しずつ行動の異変を感じる母を見て、脳外科でCT検査を受け、
はっきりと海馬の委縮を見つけ、認知症だと判明された2011年から、
2008年に他界した父の会社の後継者としての仕事と、
カウンセリングの仕事を続ける中で、同時併行的に襲ってくる、
逃げ場のない母の介護という連続の日常は、精神的消耗が大きかったです。

私は、女二人の姉妹の長女です。
二人きりの妹は、実母である母の介護を放棄しています。
それに対する怒りは、私のストレスの大きな量を占めています。
認知症で、徘徊を繰り返し、出かけては帰れなくなり、
警察や、消防署の方々のお世話にもなり、
近所の人からも徐々に忠告を受けるようになりながら、
同じものを何度も幾つも買って来ては、汚物を彼方此方に隠しまわる生活の中、
私には続けなければならない仕事も日常も有り、母と共に暮らしながら、
母との関係を壊してしまう私の苛立ちと醜さと、こみ上げるイライラの怒りは、
私が私自身を攻撃する葛藤と自己否定の毎日でした。

そうした中で、1週間だけでも良いから母を看て欲しい、助けを借りたいと
妹に願いましたが、はっきり冷たく断られたあの瞬間、私は一気に胃痙攣から胃潰瘍になり、
救急処置で病院に入りましたが、逃げるようにその場から立ち去った妹は、それっきりです。

三男の結婚式は、そうした最中のめでたく、晴れやかな事でした。
無論、認知症の母も黒留袖に身を包み、
列席同席しましたが、様子は半分も呑み込めていないようでした。

時間がかかりました。

そして、昨日、ファミリーコンステレーションで、今の母の想いを知りました。
そのワークの中では、母は、私のことは、見ていませんでした。
と云うより、自分の子供、娘たちのことには、頓着していませんでした。

母は、自分自身の(母の)母親への想いをつのらせていました。
当たり前ですが、母には母の人生があり、母は、自身の母親への想いでいっぱいのようでした。
戦中、戦後の貧しさと厳しい環境の中で、長女であった母は、
彼女なりの考えで、辛抱し、耐え忍び、一家を支えようとして来ました。
そこで見つけたのは、母が、自分の母親に一度も甘えて来なかった姿です。
さらに母は、早婚で私を産み、その後姑から実家への帰宅は許されず、
早くして他界した実母の看病も許されず、死に目にも遭わせてもらえない人生でした。
母の哀しみを知りました。

立春です。
私の心の中に在った頑なな想いも、今、少しずつ溶けかけています。
甘えることを知らなかった母に、
甘えることが出来なかった母に、
わたしだからこそ出来ることも・・・きっと…有るでしょう。。。


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by h-c-c | 2017-02-06 11:45 | Comments(0)

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