HCC コミュニティ ひろば

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つづき・・・五

雨ふりが続いています。
午後から、近所のライブハウスに出かけてきました。
1970年代の懐かしい曲を、おもいっきり楽しんで来ました。

昭和から平成に。  時間は、もはや時代として変化を遂げています。
先の第二次世界大戦で、日本全土を焦土と化し、
何もかも失った私達の祖父母や両親たちは、
復興、復旧に向け、昼夜を惜しんで働き続け、
欧米に追い付け追い越せとばかりに、努力辛抱してくれました。
それは本当に有り難いことで、そのお陰の上に、
今日の物質豊かな生活があることは、誰もが承認しているところです。
しかし、
ここは日本です。 日本は大陸ではありません。
島国なのです。 列島です。
日本に原発は無理なのです。 
豊かな山々と恵まれた清流、温泉は、その地盤化にマグマを抱く火山国なのです。
日本の地形は、ヨーロッパの大陸やアメリカの地形とは明らかに違います。
いかに日本人の科学技術が優れていようとも、
安全性に努めようとも、
土台、その基盤が違うのですから無理な話なのです。
こんなにもしょっちゅう地震が起きて、
国のグルリが海なのだから津波の可能性は何処の先進国よりも高いはずです。
想定外なんて言わないでほしいものです。
日本には、日本の進み方、進歩の形、独自の在りようが有ってしかりです。
まして、世界で唯一の被爆国です。
なぜ、どうして、誰が、どの時点で、原子力発電に Go サインを出してしまったのでしょうか。
日本のリーダーと呼ばれる人たちは、一体何を過去から学んでいるのでしょう。
歴史の事実をなぜ、きちんと検証しないのでしょうか。
罪の最たるは、「無知」です。
学ぼうとしない、考えようとしない、目先の短絡的な価値評価に右往左往している限り、
それは、賽ノ河原で小石を積み上げる喩の通りです。
この度の大震災は、自然からの試練ですが、
今、先の見えない不安と心細さ、絶望感と苛立ちは、
原発被害の放射能汚染と、それに対する日本のリーダーであるはずの人たちの
余りにも到らない愚鈍で卑劣な態度です。b0122085_1135987.jpg
肩書きや役職が、人を救う訳ではありません。
『心根』です。 『志』です。 
人間の命、ひとり一人の人間の存在、
その尊厳に真摯に想いを到らせる謙虚な誠実さです。
誰にとっても一人の人間であるその人は、かけがえのない、
他に決して変わることの出来ない大事な大事な全てなのです。
議員バッチは、何の印か?
しっかりしてくれ!
役に立たないどころか、邪魔をするだけの連中なら要りません。

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聴いたことありますか。
「折鶴」って曲。
メディアで流れることはありませんが、私の好きな曲の一つです。
良かったら、聴いてみてください。
身体の傷も、心の傷も、その痛みを受け止めようとしない限り
それらは何もかも、全て他人事です。
それでは何も変わっては行きませんし、
いつの日か必ず自らに振りかかり問われる時を迎えます。


そんなところに、惨事が繰り返されていくのだろうと考えています。

折鶴
   ・・・つづく・・・

HCC:馬屋原 眞美子
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by h-c-c | 2011-05-29 22:41 | Comments(1)

つづき・・・四

内乱、暴動、テロ、戦争…どんな言葉で正当化しようとも人殺しに変わりはない。
私は、人権運動家ではない。
逆差別をも引き起こしかねない「人権論者」でもない。

「時間」は、一体何のためにこの世に用意されているのでしょうか。
私たちにとって、抗えない時の変化の中で、許せるべきものは許し、流し、忘れていくことは、
確かに大切な行為の一つであるかも知れません。
その一方で、その事を契機として考え直し、忘れてはならないこともあるのです。
謝罪の仕方が悪い。反省の色が見えない。その言い方はナンだ。さらに謝れ!もっと謝れ!
半世紀以上経過しようが、何十年過ぎようが、過去の過ちを逆手にとって、
脅し、恐喝、補償金、賠償金を長年にわたり貪ろうとするタカリのような国が、
私たちの暮らすこの国の近くに国家として存在しています。
しかし、
私たちは、そんなことをアメリカに対して言っているわけではありません。
実験的に投下された核兵器のその放射能被害を今だに身体に抱えながらも、
アメリカに対して、脅しや恐喝、タカリまがいの行為なんか一切やってはいないのです。
核実験は止めてください。 核開発は止めましょう。 
核に通ずるものは命を根絶やしにするのですよ。 …と、
放射能被爆の苦しさと痛みを知る者として、ミッションにも似た想いで、
ただただ、その事を言い続けているのです。b0122085_1255113.jpg
それでもやはり、
聞く気のない人には、その声は届かないのでしょうか。
広島、長崎は、日本ですよ。
同じ日本人ですよ。
世界中で、唯一の被爆国ですよ。
明らかな故意によってなされた原爆投下の行為ですよ。

・・・、
2011年 3月11日。
この日を私たちは迎えました。
自然は、雄々しく雄大で、美しく、あらゆるものを育んでくれます。
同時に、自然は、時にこの上なく残酷で、厳しく全ての命に試練を与えます。
しかし、そんな中でも、自然が、命を根絶やしにすることはありません。
次に繋がる命の芽を残しておいてくれるのです。
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原水爆は、核爆発は、自然のそれとは全く違います。
自然とは戦うのではなく、それに添いながら共に行くことが大事だろうと考えるのですが…。

・・・つづく・・・

馬屋原 眞美子
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by h-c-c | 2011-05-29 12:32 | Comments(1)

つづき・・・三

「ハワイの真珠湾に言ったことありますか?」との私の問いに、
そこにいた人たちは誰も「行ったことはない。」と答えてくれました。
何も語らないままに・・・
あれ(真珠湾への奇襲攻撃)が、すべての発端だったんだろうか???と、
私の頭の中では、グルグル答えの出ない問いが渦巻いていました。
・・・答えの出ない問いが続く中で、私の言葉が、声になりました。・・・
「それにしても原爆を落とすなんてひどすぎるよね。何にも知らない人たちを相手にだよ…。」
私のその言葉に、始めに反応したのは、
関東圏から参加していた人でした。
 A:「Mamikoは、広島県の出身だっけ?」
 私:「うん、そうだけど…。」
すると続いて、このセミナーの企画主催サイドの人、スタッフに当たる人が、
 B:「いつまでそんなこと言ってるの。もう、とっくの昔のことじゃない。」
 C:「そうですよねぇ。原爆投下のことなんか、もう終わったことだし。」
 A:「広島の人って、平和へ平和って、そればっかしだよね。」
 B:「原爆反対って、分かるけど、なんかホント、もういいじゃない、って感じもしますよ。」
  # # # # # # # #
私は、一気に言葉を失いました。
この人たち、何?!? 言ってんだろう???
これって、何?
私の腹の底から熱く固い塊が胸を通り越して、喉の辺りまで込み上げて来て、
本当に本当に苦しかった。…こうしてキーボードを打っていても、
思い出すだけで、何とも言えない感覚が苦しさに変わっていきます。
原爆投下を受けた被爆者にとって、あの戦争は、まだまだ身体の中に住み付いていて、
何にも終わっていないことを、この人たちは何も知らない。
知ろうともしていない。
そのことが、恥ずかしいなんて、きっと考えたこともないに違いない。
こんな人たちに、はっきりした認定評価基準もないNLPの資格のジャッジをしてもらうなんて、
金輪際お断り! 頼まれたって厭だ!!と、私は全身で反応した。

人として、拠って立っている処が違いすぎると感じました。

私は、資格認定が欲しくてカウンセラーに成ってるわけではありません。
肩書きを並べ立てるために生きてるわけではありません。
『命の種』に向き合うために、生かされて生きている私たち人間のその『存在』に
深く丁寧に関わるためにこの仕事を選び、続けているのです。

私の友人は、被爆2世です。
彼女のお母さんは、娘当時に広島でまさに、八月のあの日、被爆されました。
悩みに悩んで、出産され、生まれて来たのが彼女です。
私の友人である彼女は、美しく、頭脳も優秀で、スポーツも万能です。
しかし、彼女は、被爆2世であることを隠したまま恋愛結婚をし、
ご主人に大事なことを隠したままにしている自分を責め続けました。
さらに悩みは重なります。
彼女は、弟さんを21歳(=弟さんの年齢)の時白血病で亡くします。
結局、彼女は苦しんだ末に、子供を持つことを諦めました。
このような人は、まだまだいらっしゃいます。
原爆投下は、一瞬のことだったかもしれませんが、
受けた側にとって、
それは、まだ、何も終わってはいないのです。
終わってなんかいません。
アメリカ人の講師に遠慮したのか、気を使ったつもりかどうかは知りませんが、
それと、これとは、全く別次元の話です。
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人間の語らい、討議、検討は、数々ありますが、
平和』 について考え語り検討する以上に大事なことがあるのでしょうか。
より便利に合理的に、短縮、簡素化、…それに向けて開発、研究…、
しかし、その根底に外せないものが 『安全』 以外にあるでしょうか。
いのち』 の本当の大切さをこの人たちは、本気では考えていないんだ。
こんな人たちから、テクニックだけ学んで何になる。 こんなものが続くはずがない。
資格を欲しがる人たちを相手に高額な受講料を取っても、
それを伝える側の人たちの心根は、こんなところにあるんだな…と、
怒りと共に、失望と落胆を感じた瞬間でした。

・・・つづく・・・ 
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by h-c-c | 2011-05-27 20:36 | Comments(1)

つづき・・・二

ハワイが、日本人にとって手近なリゾート地のように感じられ始めたのは、
いつ頃からのことなんでしょう。
ハワイに居ると、一種独特な感覚が湧いてきます。
異国であって異国でない感覚。・・・私だけでしょうか・・・。
私の個人的感情が大きいのだろうとはいうことは、承知の上なのですが、
私は、ハワイの地に降り立つと、どうしても真珠湾のイメージが
脳裏のどこかから不思議な記憶と感覚に呼び起こさせられるように広がってくるのです。
生まれて初めてハワイに行った21歳の時でさえ、既にそうでした。
ハワイの真珠湾軍港に対しておこなってしまった、
日本海軍のあの奇襲攻撃が大惨事への始まりであったことは、
今となっては、誰もが知るところではあります。
ただ、そこに到るまで、屈辱的に虐げられた日本人の抑圧的感情が、
パンドラの箱の初めの扉を開けさせたことも否めない事実かも知れません。
それは、個人間レベルであれ、国際間レベルであれ、
人間が人間として扱われない関係を強要され、
一方的に酷使抑圧され続ける時に、ある意味必然的に引かれる引き金かも知れません。
知恵が足りなかったからと言われれば、それもそうでしょう。
長期的展望能力に欠けた一部人の暴走だったと回顧反省するむきもありましょう。
あれから66年。
アメリカは、相も変わらず、常にどこかで戦争を続けています。
誰も頼みもしない世界の警察とやらの名のもとに、
異国の地に押し入っては、その地の文化も人の身体も心もズタズタにし続けています。
アメリカ人が、アメリカの本土において直接的に血をみたのは、
あの9.11.のテロ事件と、本土ではないけれど、
州としてハワイが受けた日本からの奇襲攻撃だけです。
自国が、戦場の地と化すことの本当の苦しみや悲しさを
一番戦争に関わっているアメリカの人たちが実感としては何も知らないのです。
そして、しかも、その経緯がどうであったにせよ、
実験的に、生きているそこに生活している人達へ向けて
原子爆弾を投下するとは、なんたることですか。
何をどう言い訳しても、故意に行った原爆投下への言い逃れの道なんで
断じてあるはずがありません。
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私が、
ワイキキのビーチにぼんやりと立って、広がり続く海を眺めていた時、
その人たちは、声をかけてきました。
「この海の向こうに違う国があって、そこでも皆生きてるんだとね。不思議だな~。」
って、私が言うと、
「そうだよね。地球は丸~るくて、一つなんだから…。」って、
その中の一人の人が応えてくれました。
「海は、こんなに綺麗なのに。何で戦争って終わらないんかなぁ…。」
っとポツリ私の独り言。

・・・つづく・・・
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by h-c-c | 2011-05-27 13:36 | Comments(0)

つづき・・・一

自分のことって、ホントになかなか分かりません。
私には、私のことが、よく分かりません。
私は、基本的には白黒をはっきりさせたがる方だろうと思います。
私の価値観を中心に、良い悪いを、きっちり瞬時に分けています。
しかし、それはあくまでも私の内側で起こっていることです。
それを、いきなり他者に当てはめることは、めったにありません。
正直、私は、若い頃、どちらかというと人間嫌いで、
人に対して余り関心を寄せず、思想的に生きていたように思います。
だから、人に直接的に関わらなくても良いクリエイティブな仕事として、
芸術家の道を選んだ、ということも一つにはあるだろうと感じています。
作品は、自分を裏切らない、と言うより自分そのものであり、
その時の自分以上にも以下にもならない。
芸術的表現は、
技術力も含め、その時の自分の人間性の全てが暴露される、
厳しくも潔い世界であることは確かです。
そんな世界が好きでした。
それが、なぜ???
こんなにも「人」に関わる仕事に、はまり込んでしまったのでしょうか。
今、私は、「人」が大好きです。
「人」が愛おしく、「人」の奥に見て取れる一人ひとりの命の息吹の
哀しみや喜び、切なさや、けな気にもがき惑ながらも
一生懸命自分の人生を生きようとするその一途さが大好きです。
その分、そうした「人」を利用して、
職種や立場を利用して、「人」の心の弱みに付け込むような輩が大嫌いになりました。
元々、人間嫌いだった時には、極端に好きな人も大嫌いな人も無かったのに、
「人」に関心を寄せ、「人」が好きになったことによって、
逆に大嫌いな、許せないと感じるような人間が出来てしまったことは、とても不思議です。
そして、あのワイキキのビーチで私の身体に駆け巡った嫌悪感と怒りは、
まさしく、そうした人に対してでした。

…つづく・・・
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by h-c-c | 2011-05-24 21:30 | Comments(0)

・・・・・

降り始めたと思ったら、しとしとと続いてる雨。
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今日は10度も気温も下がった。
休日を利用して、今日は音楽スタジオに行って来た。
知り合いたちが練習してるロックバンドのスタジオ入り。
全身にガンガン音が入ってくる。
おなかの底まで響くドラムの音が心地よかった。
明日、晴れたら…走りたい。 走ろう。
体調不良の私にとっては、
運動不足が諸悪の根源かもしれない。
また、水泳再開しようかな・・・。
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by h-c-c | 2011-05-23 20:25 | Comments(0)
今日一度には書ききれないと思うけど、
何年も何年も、我慢していたことがあります。
それは、私の記憶から消えることなく、
胃の裏側の辺りにずっとずっと有って、事あるごとにムカッ!!ムクッ!って動きます。
思い出すんですね。  ある特定の、何かの刺激によって。
分かっているんですよ。 分かっては。
頭で、理屈で、分かっちゃいるんですよ!
そんなことに、いつまでも捕われててどうする。 もう、いい加減に忘れちゃえ。
忘れて、流して、許して行けよ。ってこと。
頭では、十分すぎるくらい承知しているんです。
でもね、ダメなんです。
忘れきれないんです。
思い出してしまうんです。
身体にとっても、いい事じゃないにも拘らず。です。
そして、それはね、
この度の東日本大震災、それを受けての原発被害。
いまだ大きな不安を抱かせる一番の元凶、原発の放射線被害が続く中で、
毎日、毎日その報道が伝わるたびに、益々ムカムカしてくるんです。

私は、広島県に生まれました。
広島県に生まれ育った人間ならば、殆ど誰でもが知っているはずのこと。
そして、それは、日本人なら皆同じだろうと思っていた私にとって、
衝撃的な現実であり、私の心が深くえぐられ、傷つけられた瞬間でした。
場所は、ハワイのワイキキビーチでのこと。
私は、NLPのマスターレベルⅡの習得のため、
その研修、ワークショップに参加していた時のことです。

1945年、昭和20年8月14日ポツダム宣言受諾の後、
翌、8月15日、日本は第二次世界大戦の終結を、全日本人の傷として受け止めます。
それを遡る8月6日、午前8時15分、
アメリカ軍の原子爆弾は、
実践に於いて世界初の核兵器使用として、この広島に投下されました。
この一発で、当時広島市推定35万人のうち、14万人が死亡したのです。

勿論、私は戦後生まれですから、戦争については歴史の一片として伝え聞き、
語られる物語としてしか知る由は有りません。
しかし、広島県の子供たちは、小・中学校の義務教育の間、
夏休みには召集日として登校し、毎年毎年原爆投下と終戦の授業を受けてきました。
ですから、それは、私だけでなく、私の子供たちも皆同じです。
そのことが、当たり前だと思って育って来た私は、
まず最初、大学に進学した時、それは違ったんだと思い知らされることとなりました。
そう、
殆ど、誰も知らないのです。
広島県以外の、他府県の人たちは、
同じ日本人でありながら、昭和20年8月6日の午前8時15分のことを、
知っている人は殆どいませんでした。
「何?それ?」って、多くの友人たちから問われたあの時の感覚を思い出します。
…、ああ、こんなにも違うんだ!って、感じたことを覚えています。
それでも、それは、それとして、何気なく流れて行きました。

苦しくなって来たので、今日は、もう止めます。
つづく・・・
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by h-c-c | 2011-05-22 15:46 | Comments(0)

このまま夏?

来週からは少し気温も通常に戻るとか…。
まだ五月ですものね。
このまま一気に夏に突入したりはしないと思いますが。
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・・・・・、
大震災のあの日から既に70日が過ぎました。
まだ寒く、雪の吹雪く中で凍えそうに冷たかったあの日から、
私の友人のご両親は、未だ行方不明のままです。
こんなにも暑い日が続き、夏が来ようとしているのに。
命が、見つけられることを待ちながら、何処かで漂っているとしたら。
見つからないのは辛いです。
私も友人に対して、声のかけ方が分かりません。
心の中にいつも何か重いものがある感じがしています。
今年も夏は来るけれど、
今年の夏は、色んな意味で大変な夏になりそうな気がしています。
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by h-c-c | 2011-05-21 19:02 | Comments(0)
カウンセリングの仕事に関わって20年が過ぎる。
個人カウンセリングだけでも年間200ケースを優に超える現在。
セミナーや講演、グループセッションなどを含めると、
年間にご縁を頂く方々は、恐らく1000人を超す。
本当にこれまで多くの方々にお逢いし、たくさんのことを教わって来た。
気づきのきっかけ、学びの深まり、実地での体験があればこそ、
それらは何よりも私自身のものとなっていった。
理想もいい。
憧れもいい。
夢を抱くことも素晴らしい。
とりわけ青年期には、人生の意義とか人間の生き方などを、
さも高遠で崇高なものとして、自分の外側に求めがちでもある。
私個人の青春期を振り返っても、太宰、ニーチェ、に始まり、
トルストイに傾倒していった私の観念的な素地に、彼らは大きな影響を与えては、いる。
ゴッホに、ピカソ、ターナーに、ベラスケス、彼らとて例外ではない。
かといって、私は、決してそこに留まったわけでも、ない。
その後も、私は数知れぬ偉人、貴人との出逢いに恵まれ、
ビベーカーナンダ、クリシュナムルティ、に引き込まれることとなる。
しかし、
いかに崇高な考えであろうと、それが現在の自分の日常的な生活から、
遠くかけ離れたものであったとしたら、それは、単なる観念的な妄想にすぎない。
若い時期、時として人ならば、おおよそ誰でもが、
心の中にそうした一種の憧れにも近い理想を抱くことは通過点として確かに有る。
大事なのは、そこからで、
そうした教えや考え方、理想や理念は、何らかの形で
現実の、今、ここでの、自分の生活の中に生かされて初めて意味が命を持つ。
現実の生活に生かされていない学びは、単なる観念に過ぎず、
絵に描いた餅と同じで、不味くもなければ美味しくもなく、
味も感触も何もないに等しいと考える。
勉強する人は、たくさんいる。
しかし、それを本気、活かす人は、本当に稀だ。
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今、ここに居る自分の立場、環境下で、自分に出来ることを粛々と行う。
「自分」という存在を使って、多少なりとも人のため社会のために尽くす…、
この当たり前のような、ありきたりな考えと行為の中にこそ、
その人が、この世に生きる深い深い意義が秘められている…、と、
ごくごく、当然な、何の変哲もない想いに、この歳になって、感じ到っている次第。
今の自分をよくよく見定めてみる。
これこそが、現実。 
今のこの自分こそが、これまでの結果であり、現実なんだと。
そして、この今の、この自分から、さらに明日が始まるのであり、
その日々の積み重なりの10年後の、その時の結果が、その時の現実となる。
それは、決して眼に見えるもの、耳に聞こえるものだけではないが…。
はてさて、10年後の現実は…。
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by h-c-c | 2011-05-20 22:09 | Comments(0)
今に始まった訳じゃないんです。
我が家は、子供たちがまだ幼かった頃、それこそ14人の大家族でした。
街のど真ん中に暮らす家族としては、大所帯だったと思いますよ。
私たちの子供が3人。私たち夫婦。両親。
その上の…子供たちからすれば、ひいじいちゃん、ひいばあちゃん。
住み込みで働く人たちが5人。
四世代同居だったわけです。
そりゃ、まあ、それなりに色々ありましたわ…なぁ…。
本当に賑やかで、私は、来る日も来る日も台所から離れられなかったですもん。
1升釜が2つ。絶えずフル稼働でご飯を炊いていました。
当時はまだ、食洗器も我が家には無くて、洗い物も半端じゃなくて…。
洗い物を拭いて、片付けると、またすぐ次の食事の準備が待ってます。
それが、一日や一週間、一ヵ月じゃないんです。
何年も何年も繰り返すわけですよ。
当然ながら、食事だけじゃないですよ。
洗濯も、掃除も、一連の家庭内の雑用は、来る日も来る日も湧くように続くんです。
…私…、私の人生…このまま終わっちゃうのかな???って、
本気で、絶望的に、そんなことを、何度も何度も考えてはブルーになってたもんですよ。
若い世代と、幼い子供たち。 そして、そこに年寄りとの暮らしです。
各家族しか知らない人には、分かりにくいかも知れませんが、
ホント、ビックリするようなことがいっぱい起こるんですよ。
そして、それは、今もやっぱりそう…なんです。
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たとえば、、、、あのね、 
暑いでしょう? ここ最近。 暑いよね!?!  って、言うか、
一番いい季節なんですよね。今は。
クーラーも、ヒーターも要らない、エアコン要らずの季節…のはずなんですけどね、
ところが、そうは、いかないんですよ。
老人と共に暮らしていると。
朝夕は、窓を開けていれば、心地よい風が部屋に舞い込んで来ます。
しかし、我が家では、おばあちゃんが、「足が冷える。」「寒い。」って、
だから、こたつが、ポカポカしてるわけですよ。
こたつは、ずっと、片付けられません。
父(おじいちゃん)が、居た頃は、
部屋にはクーラーをつけて上半身を冷やし、
その一方で、足はこたつの中に入れて、温めてるって、状態です。
そうなの、こたつとクーラーが同時に稼働してるんですよ。
これってね、すごく違和感あるんです。
ホント、何だったら一回やってみ。
床には、毛布のカーペットとこたつだよ。そして、クーラーなの。
でもね、年取ると、自分での体温調節が上手く出来にくくて、
こういう形になっちゃうわけですよ。

今年みたいに、節電、省エネって言われても、老人の身体を思うと、
そうも強くは言えないんです。
手前味噌になっちゃうけど、だからかどうかもよく分かんないけど、
我が家の子供たち…、といっても、今はもう既に、皆立派な成人男子ですが、
どの息子たちもとても優しいです。
思いやりが、とてもあります。
それは、きっと、ひいじいちゃん、ひいばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん。
皆、みんなに、守られたり、守ったりしながら、共に暮らして来たからだろうと感じています。
色んな人の価値観を知らず知らずのうちに取り込みながら、
幼い時から、異世代間の異文化交流を自然に身につけて来たんだろうと思います。
ヒトは、揉まれ揉まれて、人と人の間で「人間」に成って行くんですものね。
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by h-c-c | 2011-05-19 20:11 | Comments(0)

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by h-c-c