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HCC コミュニティ ひろば

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ありがとうございました

本当に ありがとうございました。

昨晩、10:35私の愛する父、私が誇れる父は、息を引き取りました。

皆様には、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

今夜6:00から通夜、明日朝11:00から家族葬を行います。

後日改めて お別れの会偲ぶ会 で、皆様にはお別れをお願いいたします。

甚だ、我儘で勝手ですが、

明日は静かに家族での見送りをさせてやってください。

取り急ぎ、ご報告申し上げます。

馬屋原眞美子
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by h-c-c | 2008-09-28 14:17 | Comments(4)

私はホントに無器用者ですから・・・

012.gifここのところ、私個人としては新規のカウンセリング予約を一切受けていません。012.gif
私は、本当に一個一個しかキチンと仕事が出来ないものですから。。。
継続の方は別として、
新規カウンセリングは全て、当センターの他のスタッフカウンセラーがお受けしています。
講師関連の仕事についても、
以前よりお受けさせて頂いていた講演、セミナーのみで、
ここ当分(9・10・11月辺り)のご依頼は、
申し訳ないのですが全てお断りさせていただいています。
それも、これも、私が器用に生きられないからかもしれません。
私は、たくさんの仕事をこなそうとは初めから考えていません。
一つ一つの与えられた仕事を丁寧に努めたいと考えています。
味わい深い、旨みの詰まった中身を作り、届けたい・・・。
その為にも、今の状況では、それは、はなはだ困難です。
講演の仕事は、放電にも似た感覚のものがあり、私発信です。
しかし、
カウンセリングは、常に異なるクライアントを前にして
その方々から発せられる
強烈で膨大なエネルギーを受け止めるために
傾聴を踏まえて望む「受容」という、
とてつもない覚悟とエネルギーを必要とします。
しかも、それは50分ないし60分間。
時には90分間ものあいだ、集中力を継続させなければならないこともあります。

自分の心が穏やかでない時、
しかも、ろくろく睡眠もまともに取れていない今の状況では、
とてもではありませんが、私には出来ません。

そんな、こんなで、
東中国カウンセリングセンターのカウンセラー達は、
私のフォローも含めて、
とても良く働いてくれています。
この場を借りて、改めて感謝したいと思います。
   051.gif 001.gif 001.gif051.gif
『本当に、いつも、ありがとうございます。』

馬屋原眞美子
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by h-c-c | 2008-09-26 17:22 | Comments(0)

それでも脳は素晴らしい!

勝手に悩んで落ち込んで、悩ませるのが脳ならば、
夢を見させて繰り広げ、イメージの世界でどこまでも遊ばせてくれるのも脳。
脳は、宇宙。
脳は、果てしない。
脳は、知識を溜め込み、記憶を生かし、豊かな経験知を作り出す。
脳は、限りなく広大で深く、たゆたゆと無から有を生み、育む。
脳は、人を救う。
脳は、人を助ける。

この世のあらゆるものがそうであるように、
脳もまた、そこに功罪両面の存在意義を持つ。

だからこそ、
この素晴らしき脳を
私たちは使いこなさなければならない。

脳に振り廻されることなく、
脳に支配されることなく、
自らの目覚めたる霊性と魂によって、
時が流れると同様に、
想いを、傷を、留まらせることなく、流れ従う中で、
脳の知識を知恵に変えて、
『生き抜く』を続けなければならない。

『命』は、全くもっての頂き物なのだから、
他の全ての生き物たちが、決して自らの命を絶たないのと同様に、
人間として『生命』を受けた我々もまた、
どんな事が起ころうとも、
自分勝手にその生命を扱ってはならないと、
現時点、今のところ、、、
私としては考えている。

馬屋原眞美子

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by h-c-c | 2008-09-25 18:10 | Comments(0)

脳の記憶、脳の仕事

手を臭ってみる。腕に鼻を押し付けてみる。着ている服を嗅いでみる。
臭くはない。
特別な匂いはしていない。
なのに・・・、
顔をあげて町を歩いていると・・・臭い!父の排泄物の臭いがする。
また、手を臭ってみる。
やっぱり、臭くはない。
なのに、なぜだか何処からともなく臭い感じがして来て、
喉から胸の辺りまで、エズキそうになる。

・・・気の所為なのか???・・・

これが、脳の記憶?・・・脳が覚えてる・・・ってことなのか?

私の世界は、紛れもなく私の中で広がっていく。
その時、今この時、私の中の脳の記憶は何処に居る?
私の脳は、何処に留まり、何処で思考の仕事をしている?

脳の記憶は、現実ではない。
記憶は、記憶である以上、既に「過去」なはずなのに・・・。

しかし、
脳の記憶、その思考は、その人にとっては、絶対であり、
その人の世界の中では、誰が何と言ったって、現実なのだ。
実体なき独自の、しかも主体的な現実。

だから、
人は古傷を、いつまでも背負い、大事に抱き、
苦しみ、悩み、恨み憎んで、他者を許せないでいる。
得体の知れない他者の声に怯えている。

客観的な現実の世界においては、
もはや、遠い昔に終了しきってしまっている出来事であるにも拘らず、だ。

挙句の果てに、
何より大事な自分自身の心の中を
今もって、硬いシコリで埋め尽くし、憎しみや怯えの中に留まらせている。

脳ってやつは、厄介だ。
脳の仕組みを正しく知って、上手に使いこなさないと、
人間は、脳ってやつに操られ、人生を台無しにされちまうぞ!

気をつけろ!!

今、私の手は、決して臭くない。
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by h-c-c | 2008-09-24 16:15 | Comments(1)

心のヒダがボンヤリしてて・・・

ありがとうございます。いろいろな方々からの情けある言葉が一つ一つ胸に沁みます。
・・・・・ただ・・・・・、ここのところ心がとても虚ろです。
確かに疲れていることも幾らか影響しているかもしれません。
でも、それ以上に、何を見ても何を聞いてもボンヤリした心の襞は
かつての私の感受性を明らかに鈍らせています。
なんて言ったら良いんでしょうか・・・。
街をオシャレして歩いている人を見ても、
TVに映し出される華やかそうな映像も何もかもが嘘っぽくて空しくて・・・、
どうせ皆最後には
皆、家の今の父のようになって、
薄れていく意識の中で、ウンコもおしっこも何もかも他人の手に委ねるのに・・・、
他人の世話に預からなければ死んでなんか行けないんだから!!・・・なんて
考えていると、心がボヤ~ッとして、テンションは限りなく低くなってきて、
気分の底に、重低音のような感覚がズゥ~ッとズゥ~ッと続いています。
「こんなんじゃいけない!」
こんなことでは、カウンセラーとして他人の話なんか聴けやしない。
と、心に鞭打ってみても、一時経つとまたまたボヤ~ッとしてしまうのです。

父は、もう肛門の筋肉が締まりません。
だからウンチも垂れ流し状態になりました。
オムツの中に手を入れるので父の手はウンチ塗れです。
その手でベッドの柵やお布団に触るので臭いは部屋を超えて家中に広がります。
在宅での終末医療は、並大抵の覚悟や取り組みでは絶対に絶対に絶対にムリ!です。
こっちの気が狂いそうになり、身体が、頭(脳)が、悲鳴を上げてしまいます。
老々介護の優しい配偶者が、病人を危めてしまうその心境には、共感できることも有ったりしてしまいます。
父には、もはや昼夜の区別もありません。
しかし、父は決して認知症ではありません。私のことも、誰のこともきちんと分かっていますし、ゆっくり話せば全て的確に対応します。
残念ながらそれでも、衰弱がひどく、時に酸欠状態のような感じにもなるので、そんな時、理解の及ばない事をしてしまうのでしょう。

私なんかより、ずっとずっと以前に既にご自身の親御さんを看取られた方々からすれば、
「何言ってんだよ・・・全く・・・お前だけじゃないんだぜ!しっかりしろよな!」って、
事だろうとも考えたりしています。
ただ・・・、今現在、私と似たような状況の方、もしくは近い将来そうなるかも知れない方々のために、私と父の赤裸々な心境や状況が何らかのお役に立てるならば、
父の苦悩も、私たち家族の苦戦にも、深い意味が見出され、
次に繋がる何かに育ち受け継がれていくことと期待しています。

「命」は、無条件に、ただただ生きようとしているだけです。
そこに何の理屈も説明も、ましてや言い訳なんかないのです。
「命」は、勝手に作ったり消したりなんか出来るもんじゃないし、
やっていいもんじゃないんだから・・・。
最後の最後まで『生き抜く』その手助け、介助は、
『生まれてくる』時の介助、手助けと同じなのだと感じています。
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by h-c-c | 2008-09-23 19:16 | Comments(0)

わたしはお休み><! 少しお休み。。。

なんだかとても疲れていて、・・・書けません。
少しの間、書き込みお休みさせてください。

本来なら、もう輸血をしなければならない時期なのですが、
父自身本人と、何よりも57年連れ添った母の気持ちを尊重しながら、
さらには、
いつも一緒に居る家族全員の話し合いによって、
輸血はもうこれ以上しないことを、私たち家族は、選択しました。

この一週間、父は夜私たちをゆっくり眠らせてはくれません。
「おォ~い!」「おぉ~い!」と、
まるで呼吸をする度に声をあげて、誰かを呼びます。

もう、足も立ちません。
オムツを嫌がって外しばかりします。
だから、
お布団がしょっちゅう濡れてしまいます。

部屋の中は、動物園のような臭いが充満しています。
看護師さんや、保健師さんたちは、とても優しくて手際よく対処してくださいます。

目も、もう殆んど開けません。

甘いものを欲しがるのでプリンやアイスクリームを
スプーンで口まで届けても、
二口三口で、ゆっくり首を振ります。

相変わらず、怒鳴って、怒ってばっかりで、
人の事なんて思いも寄せない父ですが、
それでも、もう、
その言葉に力がないので、
何を喋っているのか聴き取ろうとしても聞けません。

もう本当に・・・本当に・・・もうすぐ逝ってしまうんだな・・・と、
感じると何とも言えない気持ちになります。

今目の前に映るのは、
見苦しさと哀れさと痛々しさに包まれている父の姿だけですが、
彼の輝かしかった栄光も、誇らしげだった全盛期も、
私たちは、みんなみ~んな、よく知っています。

そして、その事を決して忘れてはいません。

何かに限らず、
何事も、誰でも、
断片的に部分的にそこだけに留まって見ていてはいけないんだと
つくづく、そう感じています。

トータルに、そう、全体的に、統合させて
全てを見ていく見方をしなければ、
刹那的に判断したり、評価したり、ましてやその部分だけに留まらせてはなりません。

頭がボォォ~~~っと、しています。
なんだかボンヤリしています。

ヘンなこと書いてるかも知れません。
お許しください。

馬屋原眞美子
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by h-c-c | 2008-09-20 18:20 | Comments(3)

考えてるの?思ってるの?感じてるの?…やっぱ、考えてる。

いろんな事を、いろんな風に考える。
「私は。。。。。って思うんだけど・・・・・。」って言う。・・・けど・・・、
そうなの?
それは、本当なの?
思ってるの?感じてるの?んんん。。。やっぱ、考えてんじゃないの?

だから、皆違うんだよね。
考え方って、その人の希望や理想を含んで、さらに夫々の価値観が違うんだもの。
考えてる事なんて、まずもって皆違ってて当然なのに、
何で人はこんなにも高慢で自己中なんだろうね。

「何考えてんだかさっぱり分からない!」
「あんたの考えてることはおかしいよ!変だよ!」
なんて平気で言ってる。

向こうから見れば、こっちがそのまんま変で、おかしいはずなのに、
そんな事は思い及びもしないで、
自分の考え方と違ってると「あんたは、ヘン!!」なんて言い切ってる。
。。。。。。。。

かく言う私も、どちらかと言えばよく考えてしまう方です。
思考は大切なものではありますが、時に邪魔なこともあります。
思考が有るゆえに人類は進歩成長してきました。
しかし同時に、
思考を持つがゆえに、人間は生き辛さも併せ持つはめになっています。
「考える」という思考世界は、現実的でないことがしばしばあります。
それは、個々の個人個人によって作り出されたその人特有の
独断的妄想世界でさえあることが往々にして生じています。

少し前のコミュニティ広場
『命って誰のもの?最終人生の鍵は誰が持ってる?』
への書き込みをたくさんいただきました。

『ありがとうございます。』
皆様の貴重な体験談とその後のお考えを読ませてていただく中で、
今、私が考えていることについて、さらに考えを深める機会をいただきました。
そして、大きな気づきに到ることができました。

父という人との今世の私の因縁と人生におけるその意味合い。
父と母の在り様から学んだ私の課題。
過ごした全ての時間とそこに有った出来事。
終末の在宅ターミナルケアに入ってから過ごしたこの共有の時間。

答えは一つずつ、少しずつ、解ってくる・・・きっと・・・。
時に任せながら「命」を大事に感じながら扱っていけば、
それは向こうからやって来るに違いない。

感じながら、考えながら、
・・・そしてその事は微妙に違っていることを
知っていさえすれば、
必要以上に、思い煩い悩むこともなくなっていくだろう。

馬屋原眞美子
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by h-c-c | 2008-09-12 16:49 | Comments(1)

ナラティブ療法、ご存じですか?

今年も、もうすぐ秋が来る。
HCC恒例の夏期特別公開講座/一泊セミナーも昨日終了した。

今年は、三和の森で心身ともに癒しの中でのセミナーだった。
講師の楡木先生も、環境の素晴らしさに終始感嘆くださった。

ストレングスアプローチはその名の通り、とても前向きなアプローチ。
中でも今回は、家族療法とナラティブ療法を集中的に学習体得した。

まだまだ日本では馴染みの薄いナラティブ療法だが、
私は好きでよく用いる療法の一つ。
是非、多くのカウンセラー・セラピストの人たちに
覚えて欲しいと願っていた。
今回は、その願いが叶えられて大変うれしく感じている。

参加された皆様、
今後は更にこれらの療法が、自身のものとして
活用できるようになるために、
HCCの定例研修会『実力あるカウンセラー育成講座』で、
反復演習を続けながら、しっかりと学び合っていきましょう。

・・・あなたは、ナラティブ療法・・・ご存じですか?

来談者中心、クライアント尊重だからこそ、
クライアントのニーズに応えられるようなカウンセリングを!
良質なカウンセリングが提供出来るようになることを目指して、
謙虚に学び続ける姿勢は大切にしたいものですね。
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by h-c-c | 2008-09-08 16:56 | Comments(1)

『命』と『人生』

私の家は、広島県の東に位置する福山の町、JR福山駅のすぐ近くにあります。
小学校の頃は、よく「町の子。町の子。」と呼ばれていました。
近所には、市役所も図書館も裁判所も映画館も劇場もあります。
銀行もたくさんあり、市場も商店街もかつては賑わいを見せていました。
そう、町のど真ん中に位置し、徒歩圏内で何でも揃う場所に私の家は建っています。
そんな我が家は、ご近所でも珍しく四世代で暮らしていました。

私には三人の息子がいますが、彼らがまだ幼かった頃には、
曾祖父、曾祖母、おじいちゃん、おばあちゃん、そして私たち夫婦に子供達。
さらには、我が家の仕事柄、
住み込み修行の若い男性が五人、通い通勤の従業員が三人、お手伝いさんも
一人通いで来てもらっていました。

とにかく大所帯でした。
私には、プライバシーなんてものは有りませんでした。
賑やかで楽しい活気のある家庭でしたが、
それは同時に来る日も来る日も台所に入り浸りで
大勢の食事作りに明け暮れる毎日でもありました。

今のように食洗器もありません。
洗いものだけでも山のようで、2つ有った一升釜は、常にご飯炊きに追われていました。

そんな中で、曾祖父も、曾祖母も、皆在宅で臨終を迎えています。
まだ、痴呆症と呼ばれていた時代でその症状に対する理解は殆どなく、
誤解と偏見の中、母は、とても辛い思いを抱えながら姑である曾祖母の
今で言うところの認知症に必死で向き合っていました。
デイサービスも、デイケアも、配備されていない時代です。

そんな折、今、終末期にある父は、B型肝炎に侵され急遽入院をしました。
まだ、若かった当時の父ですが、その時も医師から「ここ2-3日が山場です。」と、
危機的状況を告げられた経緯があります。
その時、母は父の病院に付きっ切りで、約40日間の入院介護生活を送りました。

残された私と夫は、子供を抱え、従業員の仕事や対外的なやり繰りに加えて、
認知症の祖母の介護に振り回されました。
当時、子供は幼く、私はいつも子供をおんぶしていました。
下に降ろしたことがありません。
とにかくおぶっていなければ、何も仕事が出来ないのです。

その頃、まだカウンセリングも何も学んでいなかった私は、
『こんな地獄のような日々がいつまで続くんだろう・・・?』と、
本当に苦しみの中にありましたが、疲れすぎて、考えるよりも
動いて、動いて、・・・眠りこけていたように思います。

それから考えると、
今は本当に、そんなに大したことじゃないんです。
私自身にとっては・・・。
今は、家族だけです。
息子たちも成人しており、皆で協力し合えています。

人生で学んだこと、体験したことは何もかも、全てがその人の糧となります。
他者の命にきちんと向き合いながら生きていく時、
・・・・・・そこにこそ・・・・・
自分の人生が豊かに深く大きく満たされていくのを感じています。

「袖振りあうも他生の縁」
最も縁の深い家族だからこそ、多くのことを学ばせてもらえるのだと思います。

逃げても逃げても・・・、いいえ、逃げれば逃げる程、追いかけて来るのです。
きちんと向き合う。
絶対に逃げない。
大きな許しの中で、時がそれを認めてくれれば、
その時は私にも安らかな永遠の眠りが・・・、
そう、「おはよう!」と言って目覚めてこなくてもいい時が必ず来るのですから。
その時までは、真っ直ぐに生きていこうと心に決めています。

すべての出来事に感謝いたします。

眞美子

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by h-c-c | 2008-09-05 19:26 | Comments(2)

命って誰のもの?最終人生の鍵は誰が持ってる?

父の在宅ターミナルケアが始まって1ヶ月が過ぎます。
この間の家族の葛藤、自分自身の中に湧き起こる様々な感情。
ひるがえって思い起こしても、私の考えは基本的に変わってはいません。
父の人生は父のものであり、父が預かり頂いた命は父に委ねられていると、
私としては捉えています。
しかし、
そんな中にありながらも、気持ちって奴は常に千路に乱れ揺れ迷うのです。

今朝も、輸血のために父を病院に連れて行きました。
ヘモグロビンが4.4迄下がってしまって、顔面は蒼白、食欲も落ち、
手足の無感覚を訴えます。
当然ながら、やっと立ち上がらせても、もう足が前に出ません。
そこで、今回もまた、輸血をすることに踏み切ったのです。
これで8月4日に初めての輸血をしてから4回目の輸血となります。

癌細胞は確実に広がって、体の内部で出血が起こっているのだと思います。

輸血をしなければ、父は確実に今月の末にはこの世の人ではなくなります。
ただし、
こうやって適当な時期に輸血を続けていれば、
もしかしたら、秋の祭りを見て、お正月も迎えられるかもしれません。

ただ、もう何も出来ないのです。
好きな物は食べられないし、出かけることも出来ません。
体中のあちこちに痛みや不快感を抱えながら、生きているだけです。
これは、果たして本人の望む人生なのでしょうか?
かと言って、輸血をしないでそのままに・・・ということは、
みすみす見殺しにすることになりはしないのだろうか?とも思います。

・・・分からない。本当に分からない・・・。
現代の医療治療は、人生というものをまた別の角度からも考えさせる。

肉体は、どんなに拒んでも必ずいつか朽ち絶える時を迎えます。
父の命の種、スピリチュアルな精神は本当には何を望んでいるのでしょう。

今、それさえも分りません。
私たち家族が父に行っていることは、本当にこれで良いのでしょうか・・・?

眞美子
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by h-c-c | 2008-09-04 13:50 | Comments(9)

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