在宅介護の色々

要介護度5の母を我が家に連れ帰り、昨日も今日もずっと一緒にいる。

自分では何もできなくなった母と一緒にいるということは、
その母のことを何から何までずっと世話することを意味する。
食事の介助は無論のこと、着がえ、歯磨き、排泄の世話、
起き上がらせ、寝かせ、時間ごとの寝返りの世話。
水分補給、床ずれはあっと言う間にすぐ出来る。
座っていられるのは30分間だけ。
30分経ったら、横にしなければ褥瘙キズが出来てしまう。

認知症の初期頃、まだ足腰が丈夫で徘徊がひどかった頃は、目が離せなかった。
独りで出掛けては帰れなくなり、よく警察や近所の人のお世話にもなった。
キッチンに入ってはガスを付け、火災報知機を鳴らして、セコムからも駆けつけられた。
同じものを何度も何個も買って、今でも我が家にはアイロンが5台ある。

アムエのグループの人に誘われて、
訳の分からない高価なものをたくさん買って箪笥の奥に突っ込んである。

在宅介護は、決して美談では終わらない。
家族であるが故に、その家族が崩壊しそうにもなる。
それでも、当の本人には何も分からない。

介護する側の虚しさと、苛立ちと、切なさだけがつのって来る。
だから、
時期が来るとまた、施設にお願いする。
施設と言う救いの場は、介護者にとっての救いとなっている。

10年前癌で他界した父も、手術入院の時期こそあれ、
基本は在宅で、我が家でその最期を迎えた。
父は、息を引き取るその瞬間まで、意識も思考もしっかりしていた。
良くなる見込みのないことに於いては、限りある時間を共に過ごしたと、
言うだけで、結局は治ったわけではなかったが、
認知症患者の介護とは、まったく違っていた。

病院や施設へ面会に行くのと、四六時中、傍で何もかもの介護をすることは、
とてもではないが比べ物にならない。
私の腰も背中もパンパンで痛みがある。
介護を完全放棄し、親を捨てることを厭わない妹の真意は理解できないが、
私も、正直、今、もう母を余り看たくない。
冷酷な人間だと思われるかもしれないが、母と居ると苦しくなる。
私自身の呼吸が浅くなり、胸がつかえ、胃が痛くなる。

母を大事に想い、母への優しい気持ちを持っていた頃の私は、今はもういない。

明日も母はまだいるが、施設へ連れ帰った時には、
いつものことながら、ホッとする。
これが、未熟で冷淡な人間の今の私の、包み隠しのない正直な本音である。


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by h-c-c | 2017-12-06 21:44 | Comments(0)

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