社会の不条理

カウンセリングの世界に踏み出すよりずっと以前から、
私は、哲学を好んで学び、精神性の安定を求めて宗教学に親しんだ。
「探究」の道を進もうとするためには、自分の中に住みつく
個人的な価値観や伝統的な刷り込みに縛られたままでは、
新たな出逢い(気づき)には到れない。
探究のために必要なのは、限りなく深く大いなる受容の力ではないだろうか。
自分の身に生じる現状を受容する。
時を見ては、自分自身とそれを取り巻く現実を俯瞰する。
ただただ、それを見、受容する。

カウンセリングに来談される殆ど多くのクライアントに、
その姿勢は無い。
思い通りにならない現実の中で、「なんで自分に?」「どうして私が?」と、
なぜ? なぜ? と、問い続ける。
答えは見つかるのだろうか?

最近の来談者の課題としては、発達障害に関連する二次的弊害。
止めたくても止められない、繰り返してしまう問題行動。
それには依存的な行為も含まれる。
意外と多いものに、仕事依存も見受けられる。
債務が膨らむ借金問題もある。
しかし、これらの陰には、
現在この国に忍び寄る低所得者、貧困の問題が潜んでいる場合がある。

銀行って、何だ?
銀行は、一体何をしている?
街金よりも悪質な銀行カードローンは、
安易な誘いで自己破産者を増幅させている。
日銀のゼロ金利政策も、結局は弱者をさらに窮地に追い込む。

クライアントに起こる諸問題には、
精神的なもの、思考の偏りによるものだけでなく、
日々の社会状況の中で必然的に引き込まれていく罠のような
時代の波の中で作りだされるものも少なくない。

聴きながら、聴き分ける。見分ける。本質を見抜く。
カウンセリングで行われる行為は、そのアプローチさえも、
区別して行われなければならないはずである。


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by h-c-c | 2017-04-12 23:07 | Comments(0)  

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