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事実は小説より・・・

報道は、肝心な事は伝えない。
報道なんて欠陥だらけで、限界も山ほどある。

昨晩は、パーティーを開いた。
ファミリィーパーティ―ではなく、私の画廊で、作家を囲んでのパーティーだ。
スペイン在住で、毎年日本で個展を開催する現代アート作家「山口敏郎」の
展示会の一環として行っているパーティーだが、本当に楽しかった。

一週間前に帰国した我が家の嫁ジュリも、もちろん参加した。

「表現」について熱く盛り上がった。

それは、アートとしての作品表現以前に、
島国、日本人としての曖昧さに触れながら・・・。
この曖昧さは、良い悪いではなく、
日本人が、無意識に譲り受けているものでもある。

まず第一に、
口語で話し合われる会話の席で、
多くの場合、主語が語られずに、話が進むことが多い。
「自分」「じぶん」・・・、って、だから、誰?
どっちの自分なの?
今、誰の事言ってんの??って、コト、しばしばある。

まあ、これについては、ともかくとして、
スペインの失業状況は半端じゃないようだ。

近所の親しいおばさんが、ゴミ箱をアサッテる姿を見ることも、
マドリードの住宅街でも、珍しくなくなった。と言う。
こんなこと、ニュースには、流れない。
仕事を求める若者が、一日40キログラムのジャガイモの皮むきをして、
5ユーロ、日本円にして500円の報酬だと言う。

ニューヨーク、マンハッタンのハリケーン被害は、
これから寒さの増す地元に、どんな追い打ちを迫るのか?

海外での日本人の存在感は、今や殆ど消えうせているそうだ。
それもこれも、政治力の無さと、失速経済力によるものだろうと、
大陸に暮らす、海外組は言っていた。

楽しかったが、考えさせられた。
心は、千路に揺さぶられたが、刺激の多い、豊かな時間だった。
よく呑んだし、よく食べた。
よく笑ったし、よく喋ったし、よく聴いたし、とても納得したし、深く感動した。

今、この瞬間も、世界は動いている。
そして、そこに、一つひとつの命があり、人生がある。
皆、みんな、
其々の事情を抱えながらも、懸命に生きている事だけは事実であり、
それは、どんな小説の物語より素晴らしいに違いない。

馬屋原 眞美子
by h-c-c | 2012-11-04 09:38
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