人生の岐路には出逢いがある

『生きることは描くこと』
・・・そう語ったのは、幼い私の心を揺らせたフィンセント・ファン・ゴッホ。
中学二年生の夏、
ゴッホの絵に初めて触れたあの時の衝撃を、私は今でも覚えている。
ゴッホの人生は、決して順風満帆ではなかった。
それは単に、芸術家であったからだけではない。
独学からスタートしたゴッホが、
後世にこれ程の評価を得る作品を描くまでに到った画家としての道のりは、
想像を絶するほどの狂気にも満ちたものがあった。
「絵画」と言う媒体を通してではあったが、
私は、この頃から「人間」に
「人間と言うものの仕組み」に、興味を持ち始めた。

その人を通して出なければ、出現しないものがある。
社会性や協調性、その時々の瞬時の評価などには、執着しない。
ゴッホの人生は、少なくとも彼が生きている間に於いては、
恵まれていたとは言い難い。
自らが選んだ絵画への世界で、表現することへの情熱は無論のこと、
インスピレーションや他者、とりわけ弱者に対しての眼差し、
家族との関係、執拗なまでに厳しい自己内省の在り方、
親友として信頼したゴーギャン等との交流、衝突、決別、
抱え込む自身の病、
苦しみ、哀しみ、寂しさ。。。
悩みと共に生き抜いたゴッホは、あらゆることにひたむきに対峙し、
けな気に努力を惜しまなかった。
私を、心理学の道に引き寄せて行った影にも、ゴッホの存在は大きい。

これまでの、私自身の人生を振り返ってみる時、
さまざまに恵まれた多くの貴人との出会いがあったことを思い知る。

私の心を揺さぶり、大きく動かせたそれらの貴人との縁を、
自分の人生の意味と捉え、
私は、導かれるように歩んできた気がしている。
…そして、今、私は、ここまで来た…。

b0122085_2293879.jpg人生の岐路には、
必ずや何がしかの出逢いがある。
これをチャンスと呼ぶ人もいるのかもしれない。

それは、「人」のみにあらず。
時に、芸術的な作品であったり、
書物であったり、映画であることさえある。
私の人生に必要な「貴人(縁)」は、
常に私の歩む道程に用意されており、
私は、ただただ素直に、
心の導きと直感を信じて選択し、生きて来た。


時に、揶揄、中傷されたとしても、私は、それらの縁をピュア観、
下手に勘ぐったり、裏を返したり、愚図愚図戸惑ったり、
ましてや他人の噂や評価を鵜呑みにしたりは、しなかったように覚えている。

他の誰の人生でもない。
私の人生は、私が歩むのだから、
これからも…
そうやって生きて行きたいと願っている。

馬屋原 眞美子
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by h-c-c | 2012-10-30 21:32 | Comments(0)  

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