昨晩は「NLP福山学習会」があった。
NLPを活用して支援活動をしたい人たちに向けて、
また、自分の為にNLPを学んでみたい人たちの為に
福山の地、ここHCCを中心に2006年から続けている。
今回は、そこに新しい仲間の参加があった。
急な予定の為に、いつものメンバーに3名の欠席者が出た中、
新たに迎えた勉学精神に燃える2名の仲間の参加は嬉しかった。
昨日日中は、
市民講座の3回目も実施した。
当初のスケジュール通り、
第3回目は「ゲシュタルト心理学」の考え方に触れ、
その入り口を理解することによって、
日常生活に生かして行けることを目標に、理論と演習ワークを行った。
伝わったかな?
受講者の方々にどの程度理解してもらえただろうか?
日常生活に落とし込んで活用できる・・・とは、
実はなかなかの道のりではあるのだが、
人それぞれ、生活も経済状況も違うので、何とも言い難い。
自分の人生の価値基準を何処に置くのか、

優先順位に何を持ってくるのか、
人は、各自の内に幸福感、充実感を求めながら、
何かを得ようとはしているものの、
それを、タダで欲しがる傾向が見受けられる。
卑しさの果てには、卑しさに見合うものより他は見い出せないのは、
残念ながら今生の人の道の掟でもある。
輩(やから)が輩にいとも容易く、お金をばらまき散らす「生活保護」。
安易な保証制度は、
人間本来の至上命題ともいえる
其々に応じた「自己成長」、「自己確立」への努力や歓びを奪い取る。
人を堕落させ、依存の温床となる「タダ」「無料」のシステム。
そこには、
貧しいながらも懸命に、己の運命を引き受けて生き抜くと言う、
自らに誇り高く、愚直に歩み続けるく美しい生きざまの香りは微塵も無い。

一時は、そういうこともあるだろう。
過渡期としては、許されるし、重要な配慮でもあるだろう。
しかし、
そこに甘んじてしまうと、
何よりも、「自分」を粗末にしていると言うこの一大事に気づくことさえ出来なくなる。
常に、言い訳をし、
常に、何かの、誰かの所為にして、
絶えず、何処かに悶々と暗澹たる想いを抱き、
自己弁護と自己正当化に明け暮れる一生と成る。
そこには、人間と生まれて体感することのできる
達成感も、感激も無く、
求むるべく「徳」とはほど遠い、
損か得かの薄っぺらく、悲しい程に浅はかな「目先の得」勘定のみが
漂う人生と成る。
「いのち」を生きるということを考えてみよう。
這い上がれ!
這い上がって来い!
たとえ今ひと時、他者の助けを得ながらも、
いつの日にかは、自らの力で這い上がって来てくれ!
待ってる。
自分の足で歩いていこう!
せめて、自分の面倒は、自分でみよう。
馬屋原 眞美子